シルクロードのバネ工場

ウズベキスタン、フィリピン、ベトナム、モンゴル、そしてシリアに渡った日本語教師のブログです

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では続いてです(序論)

たまには日本語教師のブログらしく、「気になる日本語」についての話をしたいと思います。

近年、「言葉の乱れ」というのが盛んに取りざたされています。
…が、その中には「うん、これは正に乱れている言葉だよな」と思えるものもあれば、「それはホントに「乱れ」として十把一絡げにしてしまっていいモノなのか?」と思えるようなものもあります。

たとえば一般に「ら抜き言葉」と言われるヤツ。
一段動詞を可能動詞に活用したときに発生する現象で、「食べられる→食べれる」とか「寝られる→寝れる」といった類いのものなんですが、これを「間違った日本語だ!」と目くじら立てるお年寄りが多数おられます。

でもね、あくまで私の個人的な意見なんですが、これって単純に「言葉の変遷の中にある状態」なんじゃないかと思うわけです。なぜかっつうと、例外なく全ての一段動詞が規則的に変化しているし、それに、「受け身動詞や尊敬語との混同を避けられる」という利点もあるし。

そんなわけで、現代日本語における一段動詞の可能形は「語幹+られる」だとされていますが、たぶん100年後あたりには「語幹+れる」に統一されてるという可能性もあるだろうし、そう遠くない将来には「広辞苑」なんかにもしっかり…


寝れる【動下一】△動詞「寝る」の可能動詞(例)となりの部屋がうるさくて、昨夜は寝れませんでした。


…とかって書かれたりしてるかもしれません。
でも、言葉というのは太古の昔からこうして徐々に徐々に変化を続けてきて、それで現代の日本語が形成されているわけで、この「変化」を頭から「間違い」と決めつけて無駄に腹を立ててる連中をみると、

「変化」と「間違い」を一緒にすんなやー!なんでもかんでも間違いだって言うんなら、お前ら全員大和時代の日本語でも喋ってろ!と言ってやりたい。

……などと言いつつ、一方で「ちょっと違和感のある表現」というのが多いのも事実。
うちの街でも見られるNHKの国際放送なんかを見ていると、たまにイラッとする表現が飛び出したりするんですが、例えば、日本時間で夜の9時から放送されている「ニュースウォッチ9」なんかを見ていると、司会の青山祐子アナウンサーがときどき「次のニュース」を読むときに…

…では、続いてです。

…と言ってニュースを読みはじめるときがあって、個人的にこの「続いてです」に前々からなんか違和感を感じてしまっています。

…えと、気持ちはわかります。気持ちはよくわかるし意味ももちろんわかるので、コミュニケーションツールとしての言葉の役割は十分果たしているんですが…、

続いてです………て、

本来、接続詞的に使われている表現である「続いて」に「です」をつけて完結してしまっているのがなんかコソバユイ。そして、一度気になり出すと、聞く度にイィイ~~~ッッ!!!…てなるんですよねー。

で、私が数年前に一瞬だけ勤めていた埼玉の日本語学校の教務主任が「言葉の問題で気になることがあるときはNHKにメールで問い合わせることができるんですよ」なんてことを言っていたのを思い出し、この度、思い切ってNHKに問い合わせのメールを出してみました。またちょうどヒマな時期でもあったので。

そんなわけで、私からNHKに送ったメールはだいたいこんな感じ。


ニュースウォッチ9の中で、青山アナウンサーがときどき「続いてです」と言ったあとにニュースを読み始めることがあるんですが、個人的にこの「続いてです」に違和感を感じています。
言葉の問題なので正しい正しくないという極論的な問題として頭から「間違っている」とは決めつけられないと思いますが、NHKのアナウンサーがこの表現を使い続けているということは、NHKとしては「続いてです」という表現自体に問題はないと判断していることと思います。
そこで、「続いてです」という表現についてNHKではどのような見解(日本語における品詞分類や、問題のない表現として判断している理由など)をお持ちでしょうか。


…んでもって後日、NHKから送られた回答のメールはこんな感じでした。


「続いてです」という表現が何故生まれるのか考えると、二つの理由が考えられます。
一つは「続いてのニュースです」の中を省略した形。
もう一つは「続いて」という接続語に、丁寧な気分のときに、つい「です」を付ける場合が考えられます。
一つ目の省略なら、名詞や連体形に付くべきですから、「続いてのです」なら文法的に正しく「続いてです」は相応しくありません。
二つ目の接続語を丁寧に言う場合なら、「続いて」だけで何ら問題はありません。
アナウンサーの口癖として「しかしです(ね)」「したがってです(ね)」「ただしです(よ)」などと使ってしまうことがあり、これはなるべくすっきりするように指導をしております。
多分、相場様が指摘された違和感は、「続いて」だけでいいのに、やたらに「です」を付けることが気になっているのではないかと思われます。


…このNHKの回答メール、ツッコミどころがいくつかあるんですが、NHKではこのメールに対する返信は受け付けていないそうなので、NHKの方々に読んでいただけることを願ってこの場で検証していくことにします。…が、けっこう長くなってしまいそうなので、この続きは「不定期連載」ということにします。
というわけで、また気が向いたときに興味がある人だけに向けて続きを書こうと思います。


つづく
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テーマ:海外で日本語 - ジャンル:学校・教育

シリーズ「絵教材」第4回・国が違えば

久しぶりに絵教材について書こうと思います。

これまで、日本語教師としてウズベキスタン、フィリピン、ベトナムと渡り歩き、そして現在赴任中のモンゴルに至るわけですが、各国ごとにオリジナルの絵教材を作り続け、モンゴルでもまた新たに絵教材を描き始めています。

「そんな面倒なことしないで、一回描いたものを使い続ければいいじゃないか」という意見もあろうかと思いますが、それには個人的なこだわりはもちろん、実は国ごとに描き変えなければならない事情というのもあって、例えば下の絵はフィリピンで描いたものですが、



ご覧の通り、動詞「死にます」の絵カードです。
人が倒れ、その魂が昇天する様子を見れば、この絵が「死」を表現していることはたいていの人に理解していただけると思います。

しかし、さかのぼること4年前、これと同様の絵をウズベキスタンの子どもたちに見せたところ、教室にいた子どもたち全員の頭上に「?」マークが浮かび上がりました。

イスラムの国、ウズベキスタンの田舎の子どもたちにとって、「死」→「天に召される」という概念がなかったようで、なかなか理解してもらえなかったという経験があります。

そんなわけで、国や宗教、文化の違いによって物事の捉え方はいろいろあって、そこの文化的背景に応じた絵を描かなければ学生の理解を得られないのです。

そんなわけで、いちばん最近の「死にます」の絵カードがこちら。


とりあえず幽体離脱はお約束として採用し、死にざまの描写を変えてみました。

ちなみに、


これは世界各国どこへいっても「結婚」だと理解してもらえます。

そのほかに、国によって身近なものを描くというのも必要で、たとえば

「乗ります」と「降ります」の絵ですが、フィリピンで描いたものは


フィリピンの交通手段として多くの人が利用しているジープ(ジープニー)の絵を描いてみました。
私が教えていたダバオの学生にとって、上の方の「乗ります降ります」の絵は、普段あまり乗ることのない「長距離バス」なので、それより毎日乗っているジープの絵の方が、親しみがわくってもんです。

…となると、ベトナムではバイク?モンゴルでは「馬」か?
いやいやまてよ、馬の場合「のる」ときは「馬に乗る」だけど、「おりる」ときは「馬をおりる」というより「馬からおりる」だよなー。「馬」の場合は「降りる」というより「下りる」ていう感じだから、やっぱり「乗ります降ります」の絵はマイクロバスかタクシーになるんだろうなー。あ、でも馬車なら大丈夫か?
…などとつまらないことを考えてしまっています。はてさてどうなることやら。

そんなこんなでこの話題についてはいろいろありすぎて長くなってしまうので、最後にひとつだけ最近の話題ですが、まずは下の絵をご覧ください。

動詞「帰ります」の絵カードですが、夜、仕事を終えた人が家に向かう様子を見て「帰宅」を連想していただけると思います。

たとえば授業中、黒板に右のような絵を描いたとします。これまで働いていた国では、この絵を見た学生の口から「うち」または「いえ」という言葉が飛び出すところです。しかし、モンゴルである日の授業中、黒板にこの絵を描いたときに学生の口から出た言葉は「たてもの」。

モンゴル人にとってこれは「たてもの」なのかっ!(間違ってはいないんだけどね)…と、目からウロコだったんですが、ということは、上の「帰ります」の絵を見ても、モンゴルの学生には「夜、建物に向かって歩いている人の絵」 にしか見えないという可能性もあるわけです。

そんなわけであれこれ考えた結果、モンゴル版「帰ります」の絵カードはこうなりました。


モンゴルの夜の街には酔っぱらいが多くて危険なので、明るいうちに家(ゲル)に帰りましょう。

実際に1年生の教室でこの絵を使った結果、別段笑いが巻き起こるわけでもなく、すべての学生がなんの迷いもなく、いたってフツーにサクッと「帰ります」と即答。
これなら文句ねーだろ!

…とにかく、絵教材制作にはゴールなどなく、まだまだ新たな絵を描き続けなければならないということを再認識させられる毎日です。

それにしても、



……シリーズ「絵教材」第5回につづく

シリーズ「絵教材」第3回・職人芸

不定期連載シリーズ「絵教材」の第3回です。

前回は主観的形容詞についてでしたが、今回はちょっと内容をガラリと変えてみます。というのも、最近、帰国も迫ってきたということもあり、事務所で本とか書類の整理なんかをしていたら、こんな本が見つかって、

「絵を描いて教える日本語」

これは実に興味深い!などと思って早速読んでみると…
「(図解付きで)花の描き方は、こうして、こうして、こう…」だとか、「人を描くときは、まず頭の位置を決めて、そこから身体、手、足を描きましょう」だとか、おまけに絵とは何の関係もない中国語の声調の話が延々と4ページにも渡って書いてあったりと、「絵を使った教授法」ではなく、ただ単に絵の描き方および著者の経験談(しかも絵とはあまり関係ないこと)などが半分以上を占めていて、

「うひー、トンデモねぇ駄本だなこりゃー。こんなの出版するなら同じテーマで俺に1冊書かせろー」…などと思ってしまうほどのガッカリ本だったんですが、今回はこちらもそれにならってちょっと箸休め。
割と「どーでもいーだろそんなこと」というような話をしたいと思います。

まずは絵の道具ですが、海外を生活の拠点にしているということもあって、基本的にどこでも手に入るものを使っています。

油性マジック、太めのジェルインクペン、安物の万年筆、シャープペンおよび各ペンの補充インクや替え芯、それから、以前にも紹介したやわらかい下敷き(手作り)。
どれも、インクがなくなったらインクを注入したり替え芯を入れ替えたりして補充しながら使い続けているのでかなり年季が入っていて、シャープペン(絵カード専用)は2年、油性マジックは古いもので4年、安物の万年筆はたしか6年ぐらい愛用しています。ジェルインクペンはベトナムに来る直前にたまたま理想的なモノが見つかって買ったものだから、まだ数ヶ月しか使っていませんが。
しかし、油性マジックなどは、先がいい感じでつぶれてきて理想的な太さになっているので、なかなか手放せなくなってしまっています。

では、これらを使って実際にどんな感じで絵を描いているのかというと、

1.まずは下書き


2.油性マジックで外側のラインを縁取る


3.ジェルインクペンで内側の線を書く


4.最後に万年筆で色(濃淡)をつけて終了
(疑問詞「いくつ」)

4年前、ウズベキスタンにいたころまでは、色鉛筆で色を塗ってカラー版の絵カードを描いていたんですが、その後フィリピン以降、コピーしても使えるようにということで白黒にしました。ちなみに、最終段階(上図4)のときはスクリーントーンなどは使わず、色の濃淡を下のように線だけで表しています。



この4パターンを基本とし、線と線の間隔を狭めたり広げたりして濃淡のバリエーションを変えています。
しかし、この「線を引く」というのがなかなか骨のいる作業で、ときどき描きながら寝てしまいそうになることもあるんですが、黙々と線だけを描いていると、なんか無我の境地に入って悟りを開けそうな気分になってきますよ。ぜひ一度お試しあれ。

…ちなみに、どうすれば絵がうまく描けるかとか、そういう質問には答えられません。たくさん描けば上達すると思います。ホントに。

それに加え、


……シリーズ「絵教材」第4回に続く。
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