シルクロードのバネ工場

モンゴル在住の日本語教師がダラダラと述べてるだけです

シリーズ「絵教材」第4回・国が違えば

久しぶりに絵教材について書こうと思います。

これまで、日本語教師としてウズベキスタン、フィリピン、ベトナムと渡り歩き、そして現在赴任中のモンゴルに至るわけですが、各国ごとにオリジナルの絵教材を作り続け、モンゴルでもまた新たに絵教材を描き始めています。

「そんな面倒なことしないで、一回描いたものを使い続ければいいじゃないか」という意見もあろうかと思いますが、それには個人的なこだわりはもちろん、実は国ごとに描き変えなければならない事情というのもあって、例えば下の絵はフィリピンで描いたものですが、



ご覧の通り、動詞「死にます」の絵カードです。
人が倒れ、その魂が昇天する様子を見れば、この絵が「死」を表現していることはたいていの人に理解していただけると思います。

しかし、さかのぼること4年前、これと同様の絵をウズベキスタンの子どもたちに見せたところ、教室にいた子どもたち全員の頭上に「?」マークが浮かび上がりました。

イスラムの国、ウズベキスタンの田舎の子どもたちにとって、「死」→「天に召される」という概念がなかったようで、なかなか理解してもらえなかったという経験があります。

そんなわけで、国や宗教、文化の違いによって物事の捉え方はいろいろあって、そこの文化的背景に応じた絵を描かなければ学生の理解を得られないのです。

そんなわけで、いちばん最近の「死にます」の絵カードがこちら。


とりあえず幽体離脱はお約束として採用し、死にざまの描写を変えてみました。

ちなみに、


これは世界各国どこへいっても「結婚」だと理解してもらえます。

そのほかに、国によって身近なものを描くというのも必要で、たとえば

「乗ります」と「降ります」の絵ですが、フィリピンで描いたものは


フィリピンの交通手段として多くの人が利用しているジープ(ジープニー)の絵を描いてみました。
私が教えていたダバオの学生にとって、上の方の「乗ります降ります」の絵は、普段あまり乗ることのない「長距離バス」なので、それより毎日乗っているジープの絵の方が、親しみがわくってもんです。

…となると、ベトナムではバイク?モンゴルでは「馬」か?
いやいやまてよ、馬の場合「のる」ときは「馬に乗る」だけど、「おりる」ときは「馬をおりる」というより「馬からおりる」だよなー。「馬」の場合は「降りる」というより「下りる」ていう感じだから、やっぱり「乗ります降ります」の絵はマイクロバスかタクシーになるんだろうなー。あ、でも馬車なら大丈夫か?
…などとつまらないことを考えてしまっています。はてさてどうなることやら。

そんなこんなでこの話題についてはいろいろありすぎて長くなってしまうので、最後にひとつだけ最近の話題ですが、まずは下の絵をご覧ください。

動詞「帰ります」の絵カードですが、夜、仕事を終えた人が家に向かう様子を見て「帰宅」を連想していただけると思います。

たとえば授業中、黒板に右のような絵を描いたとします。これまで働いていた国では、この絵を見た学生の口から「うち」または「いえ」という言葉が飛び出すところです。しかし、モンゴルである日の授業中、黒板にこの絵を描いたときに学生の口から出た言葉は「たてもの」。

モンゴル人にとってこれは「たてもの」なのかっ!(間違ってはいないんだけどね)…と、目からウロコだったんですが、ということは、上の「帰ります」の絵を見ても、モンゴルの学生には「夜、建物に向かって歩いている人の絵」 にしか見えないという可能性もあるわけです。

そんなわけであれこれ考えた結果、モンゴル版「帰ります」の絵カードはこうなりました。


モンゴルの夜の街には酔っぱらいが多くて危険なので、明るいうちに家(ゲル)に帰りましょう。

実際に1年生の教室でこの絵を使った結果、別段笑いが巻き起こるわけでもなく、すべての学生がなんの迷いもなく、いたってフツーにサクッと「帰ります」と即答。
これなら文句ねーだろ!

…とにかく、絵教材制作にはゴールなどなく、まだまだ新たな絵を描き続けなければならないということを再認識させられる毎日です。

それにしても、



……シリーズ「絵教材」第5回につづく

シリーズ「絵教材」第3回・職人芸

不定期連載シリーズ「絵教材」の第3回です。

前回は主観的形容詞についてでしたが、今回はちょっと内容をガラリと変えてみます。というのも、最近、帰国も迫ってきたということもあり、事務所で本とか書類の整理なんかをしていたら、こんな本が見つかって、

「絵を描いて教える日本語」

これは実に興味深い!などと思って早速読んでみると…
「(図解付きで)花の描き方は、こうして、こうして、こう…」だとか、「人を描くときは、まず頭の位置を決めて、そこから身体、手、足を描きましょう」だとか、おまけに絵とは何の関係もない中国語の声調の話が延々と4ページにも渡って書いてあったりと、「絵を使った教授法」ではなく、ただ単に絵の描き方および著者の経験談(しかも絵とはあまり関係ないこと)などが半分以上を占めていて、

「うひー、トンデモねぇ駄本だなこりゃー。こんなの出版するなら同じテーマで俺に1冊書かせろー」…などと思ってしまうほどのガッカリ本だったんですが、今回はこちらもそれにならってちょっと箸休め。
割と「どーでもいーだろそんなこと」というような話をしたいと思います。

まずは絵の道具ですが、海外を生活の拠点にしているということもあって、基本的にどこでも手に入るものを使っています。

油性マジック、太めのジェルインクペン、安物の万年筆、シャープペンおよび各ペンの補充インクや替え芯、それから、以前にも紹介したやわらかい下敷き(手作り)。
どれも、インクがなくなったらインクを注入したり替え芯を入れ替えたりして補充しながら使い続けているのでかなり年季が入っていて、シャープペン(絵カード専用)は2年、油性マジックは古いもので4年、安物の万年筆はたしか6年ぐらい愛用しています。ジェルインクペンはベトナムに来る直前にたまたま理想的なモノが見つかって買ったものだから、まだ数ヶ月しか使っていませんが。
しかし、油性マジックなどは、先がいい感じでつぶれてきて理想的な太さになっているので、なかなか手放せなくなってしまっています。

では、これらを使って実際にどんな感じで絵を描いているのかというと、

1.まずは下書き


2.油性マジックで外側のラインを縁取る


3.ジェルインクペンで内側の線を書く


4.最後に万年筆で色(濃淡)をつけて終了
(疑問詞「いくつ」)

4年前、ウズベキスタンにいたころまでは、色鉛筆で色を塗ってカラー版の絵カードを描いていたんですが、その後フィリピン以降、コピーしても使えるようにということで白黒にしました。ちなみに、最終段階(上図4)のときはスクリーントーンなどは使わず、色の濃淡を下のように線だけで表しています。



この4パターンを基本とし、線と線の間隔を狭めたり広げたりして濃淡のバリエーションを変えています。
しかし、この「線を引く」というのがなかなか骨のいる作業で、ときどき描きながら寝てしまいそうになることもあるんですが、黙々と線だけを描いていると、なんか無我の境地に入って悟りを開けそうな気分になってきますよ。ぜひ一度お試しあれ。

…ちなみに、どうすれば絵がうまく描けるかとか、そういう質問には答えられません。たくさん描けば上達すると思います。ホントに。

それに加え、


……シリーズ「絵教材」第4回に続く。

シリーズ「絵教材」第2回・主観的形容詞

不定期連載シリーズ「絵教材」の第2回です。

前回は、「視点を変えて描いてみる」という話でしたが、まぁ、名詞の中でも特に「モノ」の絵などに関して言えば、どう描こうが重要な要素さえ抑えてあれば、その絵が何を表現しているのかが簡単にわかるわけですが、絵教材を描く上でかなり難しいのが「主観性を伴う形容詞」の絵です。

同じ形容詞でも、「赤い」とか「まるい」などのように、誰が見てもそれとわかるようなものや、「大きい/小さい」や「暑い/寒い」などのように、対峙する意味の言葉、反対の意味の言葉と並べることで理解を得られるものなどを絵で表現することは簡単なんですが、たとえば「ハンサム」とか「すばらしい」みたいに、人によって捉え方の基準が異なる形容表現を絵にすることは難しいです。

市販されている絵教材の「ハンサム」とか「綺麗」の絵教材などを見ても、正直言って「この男、どこがハンサムなんじゃ」とか、「この女の人、きれいか?」と思ってしまうものばかりです。
10人いたら10人全員が口をそろえて「ハンサム」という人なんて存在しないだろうし、ましてやそれを絵で表現するなんてことは不可能な話です。

そこで前回話した「視点を変える」をここでも適用。
 
(左)きれい (右)ハンサム

「ハンサムな人の顔」を描いても、顔の好みは人それぞれ違うので、ハンサムな顔を描くのではなく、「ハンサムな人を見ている人の様子」を描くことで「ハンサム」を表現してみました。これは自分でもなかなかのアイディア賞もんだと自画自賛しています。

しかし、フィリピンにいたときにけっこう苦戦したのが「すばらしい」の絵カード。
状況としてまず思い浮かんだのは、「何かすばらしい絵画を見て感動している人」の様子で、まず下書きの段階でこんな絵を描きました。



あとは額縁の中に「素晴らしい絵画」を描くだけです。
で、基本的に、ここで描かれる絵画が別に「素晴らしい絵画」ではなかったとしても、このシチュエーションと教師の説明だけで「素晴らしい」を教えることはできるだろうと思います。しかし、ここで「すばらしい」の絵カードに「素晴らしい絵画」を描かなかったら、それは「素晴らしいという形容詞を表現した完璧な絵カード」にはならないわけで、絵カード描きの日本語教師としては素晴らしくないというもの。なので、ここは意地でも「素晴らしい絵画作品」を描かなければならないのです。

で、何パターンもの下書きを繰り返し、最終的に完成した「素晴らしい」の絵カードですが、当時の同僚に「本当にすばらしい」と感心されるほどのすばらしい絵が描けました。

もったいないので公表しないことにします。

そんなわけで「ハンサム」や「素晴らしい」などの主観的形容詞を絵で表現することには成功したものの、いまだにどうしても納得いくモノが描けないというのがあって、それがこれ。

 
「上手(左)」と「下手(右)」

コレに関しては、2枚を対比することで十分「上手」と「下手」を表現することはできるんですが、「下手な絵」の絵を描いても、いろんな人に「これ(下手の絵)もある意味上手ですね」とか言われてしまい、そのたびに複雑な敗北感を味わってしまいます。

で、フィリピンではそう言われるのを避けるためにこんな感じで「上手と下手」の絵カードを描いたんですが…、
 

これは正直いうと「逃げ」であり、やはり個人的にはあくまで「絵」で「上手と下手」を表現したいと思っているので、いつか「下手な絵」が上手に「下手」を表していると言われるくらい上手に「下手」の絵が描けるようになりたいです。

さらに、


………シリーズ「絵教材」第3回につづく
次のページ