シルクロードのバネ工場

ウズベキスタン、フィリピン、ベトナム、モンゴル、そしてシリアに渡った日本語教師のブログです

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あれからも一年

きっかけはとある少年が書いた落書きだった、と言われています。(…が、今となってはそれすら本当だったのかどうかもわかりませんが)

昨年1月ごろから北アフリカ中東地域で民主化を訴えるデモや政府に対する抗議行動が激化。チュニジア、エジプト、リビアなどから世界中にその様子が伝えられ、その波はジワジワとシリアにも押し寄せていました。

しかし、シリアではネット上でデモなどが呼びかけられても実際に何も行われなかったり、やる前に発信した人が捕まってしまっていたり、やっても数十人程度がなんかゴチョゴチョと騒いでいるだけの規模の小さいものでした。

そんな中、シリア南部の街でひとりの少年が反体制的な言葉を壁に書いたところ、その少年は拘束され、その後の消息が不明に。それに対して家族らが抗議を起こし、その小さな動きが徐々に徐々に大きくなっていったのです。

そして2011年3月18日、「尊厳の金曜日」と謳われたこの日、当時それまでのシリアの歴史の中で最大規模のデモがシリア南部のダラアという街で発生し、死者を出す大惨事となりました。
その後それが次第に大きなうねりとなり、あちこちに拡散し、収束の気配すら見せないまま今に至り、ちょうど1年が過ぎました。

去年の3月18日、日記を読み返すと私が住んでいたアレッポはいつもと変わらない穏やかな金曜日で、私も午後から庭いじりをしながら「これからあったかくなったら何を植えてやろうかしらん」などと呑気なことを考えていました。

南の方ではそんな大きな騒動が勃発していたなど知る由もなく、翌19日は午後から授業なんかもあったので大学へ。するといつもはザルのように誰でも簡単に出入りできる門が封鎖されており、警備員に身分証を見せないと中に入れないような状態になっておりました。
結局その日、学生は大学内に入れてもらえなかったようで授業はキャンセルになってしまい、アレッポはそれでも特に大きな騒乱などはなく平和だったんですが、以降、そこかしこでなんかそういう物々しい雰囲気が平和な中にも漂うようになったのです。

…と、思い返すと去年の3月は日本で大きな震災があり、シリアで大きなデモがあったりしてなんかちょっとザワザワしてたんだな、なんてことを思ったりもするんですが、そんな日からちょうど一年が経った昨日、3月19日。


モルディブで国会再開に対するわりと大きな抗議行動があり、


私が勤める学校の正面にはMDP(モルディブ民主党=前大統領の政党)の事務所があるんですが、そこで警官隊とデモ隊が衝突。4~5時間ぐらいにらみ合いが続いていました。

そして催涙ガス発射!


生まれて初めて浴びました。
なんか目玉をギュゥ~~っとつかまれたような感じで、あれってホントに涙が出てくるんですね、催涙ガス。

ウチの学校、言語科のオフィスが通り沿いの2階にあり、わりといい位置でこの騒動を見ることができたんですよねー。そのおかげで午後はずっと学校のスタッフやら先生方が出たり入ったりして、デモはうるせぇしオフィスには人がいるわでまったく仕事ができなかったんです

しかしこうして身体を張って国に異議申し立てをする人もいるかたわら、それを観光気分で楽しそうに見物している人もいて、モルディブはなんだかんだいって平和なんだな、と、この騒乱を目の当たりにしてより一層思ってしまいました。


シリアにも早く以前のような平穏が訪れ、おっちゃんの作るシャワルマでも食べながら他愛もない話がまたできるようになることを切に祈ります。
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退避にまつわるエトセトラ(3)

…というわけで、日本に帰国してそろそろ1ヶ月も過ぎようかという頃合ではありますが、シリアからの一時退避帰国のお話、ようやく完結編となります。

民主化要求デモの影響でシリアの情勢が今後さらに悪化する恐れがある、ということでシリアからの退避が決定してしまい、せっせと荷造りやら関係各所への挨拶などをなんとか済ませ、そんなこんなであっという間に時間は過ぎてしまい、いよいよアレッポで過ごす最後の1日…。

荷物もだいたいまとまったし、朝からいつもどおり大学へ行って普通に夜まで授業をし、夜8時ちょっと前ごろに帰宅。
しかし、家に帰ったところで冷蔵庫の食材ももう片付けてしまって食べるものもないので、いつも行ってたスーク(市場)へシャワルマファラーフェルを買いに。

…と、いつものチキン屋で、

私がこの日を最後にアレッポを離れるということを知ってか知らずか(いや、知ってるわけはないんですが)、いつもチキン屋で店番をしている小僧が突然「今日は写真を撮ろう」プチ撮影会が始まってしまいました。

しかもこのチキン屋に限らず、この日はどういうわけかあちこちで「写真撮ってくれ」と言われ、

写真を撮ったりとられたりして帰宅。

そして翌朝…

アレッポを去るときが来ました。


我が家の庭でひと冬を越えたキャベツの芯も花を開き、順調に行けば種が取れそうなところまで成長していたのに…、退避が決定する前に植えたチリ数日前に芽を出したばかりだというのに…、そろそろパプリカも芽吹くころかと思って楽しみにしていたのに…、残念ながらここでお別れとなってしまいました。

というわけでアレッポのシェラトンホテルに集合。

前回、3月末にダマスカスに退避したときは、公共交通を使って各自の都合に合わせてダマスカスを目指したんですが、今回はやはり帰国のために首都へ行くということに加え、途中途中にデモが発生したといわれている地域も通らなければならないということもあり、この日のために用意された貸し切りバスで安全にダマスカスを目指します。


やはり「情勢・治安悪化に伴う一時退避帰国、そのための首都移動」ともなると、カーテンを締め切り、車外に顔を見せることもできず、飛び交う銃弾をかいくぐって命の危機を脅かされながら首都を目指す、というイメージもあるかもしれませんが…、

まったくそんなこたぁない。
右の写真を見てもおわかりのとおり、車内には宴会席もあったりして、おべんと広げてほのぼのピクニック気分でありました。

私もそうでしたが、わりと多くの人は退避のショックもひとしきりおさまり、むしろこの状況を楽しんでいるようでした。

それでも、途中途中には前日にデモが起きて治安部隊との衝突があった、なんていう所らへんを通過したんですが、道のそこここにタイヤを焼いた跡があったり戦車が止まっていたりしていたので、やはり多少の緊張感はあったんですけどね。

…んで、無事ダマスカスについたあとは今回の一時退避帰国が決定に至るまでの経緯やらその理由やら、日本に帰国してからの身分がどうなるかとかいろいろの説明がされたり、銀行に行って両替したり口座を閉じたり、お土産を買いに行ったりしているうちにあれよあれよと時間は過ぎてしまい…、


シリアを発つときがやってきて…、


そんなこんなで今に至ります。

日本に帰国したその日、同じホテルに泊まったみんなで居酒屋に行ったり、ラーメン屋に行ったりしたんですが、やっぱり日本の食べ物は旨い。そして高い。

でも、そこら辺の日本は物価が高いとかなんとか、そんなこたぁ重々承知の上なので今さらそんなには驚かず、やっぱり「居酒屋でこんだけしか頼んでないのに3000円!?」とか、そういうギャップは今まで何度も経験しているので「まぁ日本てそんな感じだよね」程度のモンだったんですが、その翌日にたまたま立ち寄ったドラッグストアで…、


アレッポ石鹸を発見してうれし懐かしさを感じるとともに、「当店のおすすめ品」になっているところがちょっと誇らしくも感じられたりしたんですが、それにしても1コ570円というあまりの高級ぶりに衝撃を受けてしまいました。

アレッポじゃ同じ石鹸が1キロ500円ぐらいの値段で買えるのに、「お前はなにを日本でセレブぶっとるんじゃい、おまけにわざわざひとつずつご丁寧に梱包されやがって…」などと思ってしまいました。


…というわけで、シリアのお話はこれをもちまして一旦休憩です。

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退避にまつわるエトセトラ(2)

というわけで前回の続きです。

当初、「国外退避の可能性も視野に入れた首都への避難」だったのが正式に「退避一時帰国」に決定してしまった…、というところまでが前回のあらすじ。

で、そんなこんなでそういう事情になってしまったので、とにかく部屋にあるものを整理して荷造りをしなければなりません。

というわけで、まず向かったのが…

かばん屋さん

昨年6月のシリア渡航の際、スーツケースは使わず荷物は全てダンボールに入れて来ていて、「帰国するときに安いスーツケースでも買えばいいや」と思っていたので、まさかこんなタイミングでスーツケース購入の日が来るとは思ってもいませんでした。

で、とりあえずいちばん安かったハートの迷彩柄のスーツケース(600SP=約1200円)を購入。

帰国に際して部屋の掃除なんかもしつつ荷造りをするわけですが、荷物は大きく分けて「要るもの(持って帰るもの)」と「要らないもの(置いていく、あるいは捨てていくもの)」に分けるだけではなく、それをさらに細かく分けなければなりません。

というのも、今回の退避一時帰国というのは基本的に“シリアの情勢が安定すればまた戻ってくる”ということを前提としたものなんですが、“事態がこれ以上悪化すれば任国振り替えになる可能性もないとは言い切れず、そうなればシリアに戻って来れなくなってしまう”という特殊なケースだということ。

…というわけで、荷物の仕分けは以下のような感じで:

1)今回の帰国に際して自分の手で日本に持って帰るもの
2)日本に持って帰りたいんだけど、シリアに戻って来たらどうせまた使うし、でももし戻れなくなった際には事務所スタッフに日本まで郵送してもらいたいもの
3)もしシリアに戻ってこれればまた使います。でもまあシリアに戻ってこれなくなってもこれはあきらめますから捨ててください。というもの


という3段階に仕分けしていきます。

ただ、2)に関しては情勢次第で郵便局が閉鎖、または海外への郵送ができなくなるという覚悟もしておかなければならない、というわけで、2)3)に関してはもう基本的にお金で買えるものはあきらめることにしました。


しかし改めてみると「要らないもの(右のダンボール2箱)」がけっこう多いなあ、という感じです。
ていうか、あれもこれも…と迷うことなく、ここまで切り捨てる覚悟をしないとまったく荷物がまとまりません。

んで、その他に家周辺や生活面では、まず大家さんに連絡して光熱費の支払い契約期間が終わるまではとりあえず部屋をキープしておいてくださいと頼んだり、銀行で口座を閉じたりインターネットの契約を止めるとかの作業もありました。

一方、大学では…


普段どおり授業をしてました。

学生たちはもう大人なので、今のシリアの現状を踏まえて日本人は退避になったこと、そしてまあ2~3ヶ月もすればまた戻ってこれるでしょう、ということで事情を話したらみんな納得してくれました。
で、幸いにして私が受け持っていたクラスも、アレッポを離れるまでの数日で時間割どおりにやれば1回ずつは授業ができたので、とりあえず各クラスでキリのいい所まで授業を進めておく作業、それからシリア人の先生への伝達等々をすませたり…といろいろある中で、


授業後に学生たちが小パーティーを開いてくれたり、


これ以上荷物を増やさないようにしていたのに、あれこれとお土産をくれたり…、

あとはアレッポ在住の日本人でアレッポ名物煮込み屋に集まったり、各々が捨てきれない食材を持ち寄って消費の会をしたりと、そんなこんながありながらアレッポで過ごせる数日はあっという間に過ぎてしまったのです。

そして……


…もうちょっと続きます。

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