シルクロードのバネ工場

ウズベキスタン、フィリピン、ベトナム、モンゴル、そしてシリアに渡った日本語教師のブログです

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「地球の歩き方」に載ってます

突然ですが宣伝です。

いまや日本における海外旅行のガイドブックの定番にもなった「地球の歩き方」。鮮度が命と言われるガイドブックの中でも、1年半から2年に一度は改定され、常に新しい情報を提供。また、圧倒的な数の国や地域を網羅し、日本国内で販売されているガイドブックの中でもかなりのシェアを誇っています。

数年前、私がバックパッカーみたいなことをしていたころ、やはり海外で出会う日本人の多くはこの「地球の歩き方」を持って旅をしていました。しかし、この地球の歩き方、情報に誤りが多かったり、無駄な情報はたくさん載っているくせに必要な情報はあまり載っていなかったり、写真が多すぎるためにページが多く厚みがあって、長旅での携帯には向いていないなど、当時の旅行者の間ではわりと人気は低く、どうしても「『歩き方』を持ってるヤツ」=「旅の初心者」という目で見られていました。また、タイやインドなどのように日本人バックパッカーの多い国では、現地人の間でも「『歩き方』を持ってる日本人」=「カモ」だと思われていることがしばしばあります。

そんなわけで、正直なところ私も旅の情報源としてはほとんど活用していなかったんですが、ヒマなときに本屋で立ち読みしたり、気に入った物は買って読んだりするなど、個人的にはガイドブックというよりひとつの「読み物」として集めたりしていた時期もあります。
というのも、この「地球の歩き方」、とにかく写真が満載されており、地図もなかなか詳しく描かれていて、その国へ行かなくても「読むだけでなんとなくその国の臨場感が味わえる」という魅力がある。と、個人的には思うわけです。

で、この度、なんとその「地球の歩き方」に私の書いた記事が掲載されてしまいました。
それも、「ホテルやレストランの紹介」的な2~3行の投稿記事ではなく、編集部から正式に依頼されて書いたコラムが堂々1ページを埋め尽くすカタチでドド~ンと掲載されています。
エヘヘ、ちょっと自慢。

ちなみに、いま住んでいるベトナムのものではありません。


「地球の歩き方 シルクロードと中央アジアの国々編 07~08年版」
(5月19日発売 1974円)

なんともマニアックなタイトルですが、これ、旧ソ連の中央アジア諸国(ウズベク、カザフ、キルギス、トルクメン、タジク)5カ国の旅のダイジェストが満載されており、中央アジア、シルクロード方面が好きな人にはたまらない魅惑の一冊に仕上がっています。(旅のガイドブックとして使えるかどうかは別として。)

んで、何を書いたかというと、3年ほど前に私が住んでいたウズベキスタンのリシタンという町の紹介記事です。

今回、このお話をいただいたのは昨年の11月半ばごろ。ベトナムに来るちょっと前のことです。
ウズベク赴任前からいろいろとお世話になり、現地赴任への窓口にもなっていた団体の方から連絡があり、「地球の歩き方の改訂版にリシタンと紀子学級(私が赴任していた日本語学校)の紹介記事の執筆依頼があったんだけど、それなりにわかりやすい文章が書けて、バックパッカー経験もあって地球の歩き方なんかもよく知っていて、中央アジアが好きで、さらに最近現地に行った若いバカなの」ということで、私に白羽の矢が立てられ、そんなこんなで「いっちょ書いてみるか」となったわけです。

ただ、町の紹介といっても、リシタンという町は地図などいらない小さな田舎町だし、旅行者がわざわざ行くような観光地でもない(そもそもホテルすらない)ので、旅行情報はいっさいナシ。見開き2ページにその町と日本語学校の紹介コラムのみ。
で、それを、日本側とウズベク側から一人ずつに書いてもらうという構成で、まずは実際に現地で生活していた日本人(私)がリシタンという町と、紀子学級という日本語学校についての簡単な紹介をしたあと、現地リシタンで日本語を学び、日本への留学経験もあり、今は現地で日本語を教えているジャエワ・ショヒジャホンさんというウズベク人の女の子が現地での経験などを綴る。ていう感じ。

2007年の年明けごろから執筆作業に入り、当初は書きたいことだけチャチャっと書けば済むだろうと思っていたんですが、実際には文字数やら地名表記やら漢字表記など編集部の方針がいろいろあって、数度にわたる書き直し要請を受けてしまい、削除やら付け足しやらを繰り返し、「あと何行減らして」とか「この段落をあと何文字減らして」とかいう地味かつ地道な作業を経て完成。結果的に無駄な部分はすっかり削ぎ落とされてしまい、誰でも書けるような文章に仕上がってしまったような気もしなくはないんですがね…。

そんなわけで、ガイドブックとはいえ一応は著作物なので、ここでの公開はできませんが、ボカシを入れてちょっとだけ公開いたします。(どうしても見たい方は書店で立ち読みもしくは購入してください。)


こんな感じで、見開きの片側1ページに私の書いたコラムが掲載されています。


ホラホラ、ちゃんと名前も載ってるよ。

…と、ゆーわけで、日本にいる方はとりあえず書店に走って見てみてください。
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ウズベキスタンで最も有名な日本人

世界で活躍する日本人の話です。

先日、ベトナムに滞在する日本人のための情報誌をパラパラと読んでいたところ、こんなものを発見しました。

 ベトナムで活躍する歌手、「SAKAI(サカイ)」

「SAKAI」というからには、当然、日本人です。(本名「境恒春(さかいつねはる)」)
何でも彼、2001年に日越合同プロジェクトとかで渡越。なにを思ったか、Ngoc Son(ゴック・ソン)というベトナムの超大物歌手に弟子入りし、ベトナムで歌手デビューしたらしい。

…そういえば、フィリピンにも似たようなのがいたなぁ。

 フィリピンのタレント「Ya Chang(ヤッチャン)」

この怪しげなヤッチャンという男、元々、片思いしていたフィリピーナを追ってマニラへ渡り、フィリピノ語を猛勉強し、なぜかフィリピンでタレントになってしまった日本人である。タレント活動のほかにCDまで出してたし。

彼らは決して全世界的有名人ではないにしても、それぞれが各国のローカルシーンでそこそこ有名な日本人と言えるであろう。

…と、ここでふと考える。「ウズベキスタンにはそんな日本人いたかなぁ…」と。

ふりかえれば私がはじめてウズベクへ行ったのは数年前、そのときは個人旅行だったんですが、そういえば、行く先々で「おまえ、日本人なら「アキオ・カバト」を知ってるだろ」とか、「この町に「アキオ・カバト」が来たんだぜ、すげぇだろ」みたいなことを言われ、一緒に旅行していた女友達と「アキオ・カバト」って誰だろう…なんて話していたのを思い出しました。

で、その旅行から時を経て2003年。半年間ウズベクで生活することになったんですが、そこで初めて「アキオ・カバト」の正体が判明。

「河東哲夫(かわとうあきお)」……って、当時の「駐ウズベク日本大使」じゃねーか!

ちなみにこの人(右)です。


勝手に写真を出してしまってスミマセン。とても話の面白い人です。(「興味深い話をしてくれる」という意味です。)
ウズベク語には「ワ行」の音がないから、「ワ」が「ヴァ」になって、「カワト」が「カヴァト」になっちゃうんです。(「モスクワ」が「モスクヴァ」なのと同じ要領です。ちなみに「わたなべ」も「ヴァタナベ」になります。)

この国で活躍している(または有名な)日本人といえば、我が町を訪れた日本の外交官。それくらい、当時のウズベクの一般人にとって日本は馴染みの薄いもんだったんだなぁ、と改めて思います。今のウズベクではどんな名前が出るんだろう…。たいして変わらないと思うけど。

んで、この河東元大使、今は外交官という職も退いてしまったらしいんですが、考えてみればときどきウズベクの国営放送にも登場していたみたいだし、日本でもたまにNHKの討論番組なんかに出てるし、本も出版してるし、有名人といえば言えなくもないか…。あと、最近はブログもやっていて、ちょっと難しいけど私個人としてはわりと楽しく読まさせてもらっています。
←ココです。

そんなわけで、海外ローカルで活躍する日本人、調べてみると意外とその国が見えたりしておもしろいかもしれません。

(旧サイト・2007年3月5日記載)

懐かしきウズベクのお正月を思い出す

ウズベキスタン赴任時代のお話です。

最近、とある事情があって3年前のウズベク赴任当時の仕事データや写真などを整理しているんですが、思えば今年はベトナムで、その前はフィリピンで2回の年越しをしたので、ここ3年は熱帯での年越しとなってしまっています。

そんなわけで一番最近の冬の記憶というのが3年前のウズベキスタンの冬になるわけですが、やはり山間部のイナカで生まれ育った私としては、どうも「寒いところ」とか「高いところ」の方が好きなので、2003年から2004年の年越しをしたウズベキスタンの乾いた冬がときどき恋しくなったりするわけです。

なので今回は、ウズベクでの年越しを勝手に思い出して一人で懐かしませてもらいたいと思います。

国が変われば文化や風習、宗教が異なるもので、ある初級日本語テキストに載っていた「クリスマスは何月何日ですか。」という質問をウズベクの子供たちに問うたが、子供たちは「クリスマス」という言葉を知らない。
それもそのはず、イスラム文化圏のウズベクで、子供たちがキリストの誕生日など知ってるわけがない。ところが、イチかバチか黒板にサンタクロースの絵を描いて見せると、意外なことに、みんなサンタクロースの存在は知っているのです。

そこで改めて「これ(サンタクロース)は何月何日ですか?」と質問すると、子供たちは声を揃えて「12月31日」と答える。

ウズベクでは、なんとサンタクロースが大晦日にやってくるんです。

というのも、ウズベクでは12月も半ばを過ぎれば、来たるべき新年のお祝いムードになり、街の中心部には新年の飾り付けなどが施されます。
で、その新年の飾り付けというのが、世界中で一般的に言われるところのクリスマス飾りで、街へ出ればでっかいクリスマスツリーとサンタの人形があちこちに点在し、ショウウィンドウにはもみの木やサンタクロースの絵が描かれ、おもちゃ屋さんでは12月31日までクリスマスツリーやクリスマスグッズが売られます。中には意味不明なものもありますが…。

さらにテレビでも、12月31日までクリスマスソングが流され、ウズベクのタレントたちは年が明けるまでサンタのコスチュームを着ています。

クリスマスには老体にムチ打って世界中を駆けずり回ったサンタさんも、年末はフィンランドの自宅でトナカイのスープでも飲みながらのんびりしているのかと思いきや、こんなところで働いていたんです。国や宗教のワクを超えて、世界中の子供たちに平等なサンタさんを尊敬せずにはいられないですねぇ。

と、そんな感じのウズベクの年末、年が明ける前から「新年おめでとう」という挨拶を交わし、年末のうちに新年のパーティーが行われるため、街は 新年が近付くにつれて騒がしくなっていき、そのお祭り騒ぎも12月31日に最高潮を迎えます。

大晦日にもなると子供たちは町中で爆竹をならし、人々は何をするわけでもなく街の中心部に集まり、来たるべき新年を祝います。
んで、夜はくだらない年末番組をみながら家族や親戚だけで過ごすあたりは日本と共通する部分もありますが、そんな中でも外からは爆竹のけたたましい音が鳴り響いています。

が、そんな爆竹の音も、12月31日の夜11時半を過ぎたあたりから少なくなり、11時50分頃になると街は水を打ったように静かになります。テレビでは、どのチャンネルでもえらい先生方の講話があり、その最後を締めくくるウズベキスタンの大統領カリモフ氏の演説が終わるとカウントダウンスタート。

で、1月1日の午前0時になると、再び街中のあちこちから爆竹の爆発音がなりはじめます。
その音は、新しい年を迎えた街に夜中じゅう響き渡り、お祝いムードは朝まで続いていくのです…。

そんなわけで迎えた元旦、1月1日の朝。
12月31日にあれだけ騒がしかったんだから元日はもう天地がひっくり返るくらいのお祭り騒ぎなんだろなー、と、胸を弾ませて街へ出たところ、街はビックリするぐらいにしぃ~んと静まり返り、人の数もまばら。年末に大繁盛していたバザールもほとんどが休業で閑散としており、なんとも寂しい街になってしまいました。

どうやら1月1日はみんな昼ごろ起きたあと、家でゴロゴロしたり親戚周りをしたりするそうです。

で、1月2日が仕事始め。あれだけ騒がしかった街も普段の落ち着きをとりもどし、みんないつもとかわらない日常生活に戻ってしまったのでした。

(旧サイト・2007年1月11日記載)

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