シルクロードのバネ工場

ウズベキスタン、フィリピン、ベトナム、モンゴル、そしてシリアに渡った日本語教師のブログです

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春の便り

最近、過去に教えた学生からのメールが多いのはどうしてだろうと考えてみる。

2月には日本語能力試験の結果が出るし、これまで赴任していたウズベキスタンとフィリピンではそれぞれ弁論大会、スピーチコンテストのシーズンに突入するし、なんだかんだ言って年度末だし、個人的に2月3月あたりは何となく落ち着かない季節です。

しかし同時に、プレッシャーから解き放たれた学生からの便りが多い季節でもあります。

そんな中、つい何日か前に、私が過去に教えていたフィリピンの学生からおそろしく長文の日本語メールが送られてきました。A4用紙に印刷して実に3枚にもなる長文です。

初めて彼の日本語のクラスを受け持ったのがもう3年半以上も前になります。私はまだ20代だったし、その学生もまだ高校生でした。それが今度の6月で大学4年生。月日の経つのは早いもんです。

私のフィリピンでの2年の任期の最後の授業がその学生の日本語会話のクラスでした。
その授業の終わりに、学生たちからのプレゼントと言ってクラス全員で歌を歌ってくれたんですが、学生たちが泣き出してしまって何を歌ってるのか全然わからない状況だし、私もオイオイと泣いてしまい、湿度が数パーセント上がるんじゃないかっていうぐらい教室を湿っぽくしてしまったのがちょうど1年前。

今回、メールをくれたその学生は、日本語に限らず、もともと成績優秀な学生だったんですが、私がフィリピンを離れてからの1年間に大学での日本語の授業が増え、内容もより高度になったこと、彼自身も能力試験の2級を受検し、3月にマニラで行われたスピーチコンテストにも出場したこと、論文のことやクラスメートの近況などなど…。中には「喫茶店を作る夢は実現できそうですか」とか「最近の恋愛関係はどうですか」とか、おまえらはどこまで俺のプライベートを把握しとるんじゃ、というツッコミどころもありましたが、それにしてもこの1年の成長ぶりを見事な日本語で見せてくれました。

トコロ変わってウズベキスタンのフェルガナ州。こちらもタシケントで3月中旬に行われた日本語弁論大会に出場した二人の女子学生からメールが送られてきました。

彼女たちの大学では、政情不安のため二年前から日本人教師が不在となってしまい、それもようやく解決。本来なら去年の九月から私が赴任する予定になっていて、実際、去年の春には私も現地へ行っていろいろ調整したにも関わらず、結局、労働ビザの問題がいつまでたってもクリアにならず、私も帰国を迫られてしまい、相変らず大学では教師不在のまま。
そんなわけで日本語を独習せざるをえない状況の中、彼女らは自費でタシケントまで赴いて能力試験を受験し、弁論大会にも出場している。いとおしいくらい健気な学生たちです。

ウズベキスタンではまだまだIT事情が発達しておらず、彼女らは少ない小遣いの中、ネットカフェでせいぜい十数分しかインターネットができません。それも、もちろん日本のような高速インターネットじゃないんですよ。でも彼女らは、何かあればメールを送ってくれます。しかもイスラムの女性、メールの書き出しと締めの数行には「年上」で「男性」で「教師」である私への挨拶を欠かすことはありません。本文はほんの2~3行ですが、そんなメールが送られるたびに胸が熱くなります。

そんなウズベキスタンをはじめ、意外なことにフィリピンも、どちらも慢性的な教師不足に悩まされているところが多く、どちらの学生もメールの最後に「先生、また来てください」というメッセージが入っていて、今すぐにでも飛んでいって抱きしめてあげたくなるんですがねぇ。

でも、それを考えると、ベトナムの日本語学習者なんかは恵まれています。治安がいいから日本人教師も多いし、選り好みできるほど日本語教育機関も多いし、教える人と習う人の需要と供給がそれなりに保たれているんだから…。そんなベトナムで没個性という状況に悩まされる中、過去に教えた学生たちからこんな便りをもらってしまうと、ついつい心が揺れ動いてしまいます。

そろそろ次を考えはじめないと…。

(旧サイト・2007年3月30日記載)
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フエで絵を描く

最近の出来事の話です。

「絵がうまい人」にはそれぞれ「肖像画」だったり「風景画」だったり「写実的な絵より漫画チックな絵」だったりと、各人が得意とする分野があるんですが、それなりに絵がうまく描けたりすると、得意としていない方面から「絵を描いて」などと頼まれて、内心ドキドキしながら絵を描く、なんてことがたまにあったりします。

たとえば小学校低学年のとき、「学級の旗(クラス全員の名前とか似顔絵を書いて、行事の度に掲げたりするヤツ)」に「機関車の絵」を描くことが決定し、クラスを代表して私が「なんの興味もないマシン(機関車)の絵」を描かされるハメになり、とてもつまらない思いをさせられたうえに、その学級旗が一年間も黒板の上に飾られ続け、まるでさらし者にでもされたかのような一年を過ごした、という苦い思い出があります。
さらに私の場合、絵は独学というか、基礎からちゃんと習ったわけでもなく、子供のころから描きたいものは描けていたし、描きたくもない絵を描かされる図工とか美術の授業はキライで、実は成績もあまりよくありませんでした。

というわけで、勉強できる人が必ずしもいい先生になれるとは限らないのと同じ理屈で、私は基礎もないし絵が描けないと言っている人の気持ちもわからないから、絵の指導なんかもできないわけですが、実際、絵がそれなりに描けるというだけで、そういう現場に駆り出されるというのはよくあることです。

んで、話は変わって私が現在務めている日本語学校、日本のNGOが母体となっているんですが、今は授業らしいこともしていないし、新しいクラスは4 月から始まるけど、時間があるのは今だけだということで、そのNGOの活動の一環として、先週、1週間ほどベトナム中部のフエという町に出張してきました。

フエでは、住む土地のない貧しい人たちが川沿いに小屋を建てたり、船の中で生活したりしているんですが、そのNGOではそんな水上生活者の人々への支援、衛生問題の改善、子供たちへの教育などをしていて、今回のフエ出張における私の主なミッションは、そのNGOが支援しているフエの水上生活者の子供たちの「お絵描き教室」のお手伝い。

つまり「日本語の先生」ではなく「絵の先生」としてフエに駆り出されることになり、内心、「うわぁ、絵の先生かよ…」などと思いながらフエへ向かいました。

しかし、当然そんな私のつまらない心配など知る由もないフエの子供たちは、「日本人の絵の先生がやってくる」と期待に胸を膨らませ、熱烈歓迎ムード漂うなか、「恥をかくことになりゃしないか」などとドキドキしながら教室へ。

…でもね、実際に現場に入ってしまうとこれが実に何とかなってしまうものだし、実はそんなことはどーでもいいことで、なんか子供が無心に絵を描く姿とかって、理屈抜きに面白いですよ。ということに気付かされてしまいました。

やっぱりNGOがやることだから、絵のテーマも環境衛生とかだったりするんだけど、なんか子供と一緒に「イヒヒ」とか言いながらバイキンの絵を描いてみたり、妙に絵が上手い日本人に感心したり、ペラペラ漫画に目を丸くして感動する子供の姿を見ることができたりして、なんかとてもよかったです。

こんな感じでした。
  

ほかにも今回、思いもかけずに現地の美術学校のデッサンの授業(基礎をちゃんと学んでいる様子)を見学させてもらったり、小学生が一斗缶のごみ箱に絵を描く現場なんかも見学させてもらえて、実に絵のことだけを考えていればいい数日を送ってしまい、意外と充実のフエ出張となりました。

 

(旧サイト・2007年3月27日記載)

笛を吹く少年

前回に続いて、また下敷きにまつわる話です。

いわゆる「名画」と呼ばれるような絵が特に好きだというわけではないが、自分が思い入れを抱く「この一枚」という特別な絵があって、それがこの絵。

「笛を吹く少年」(エドワール・マネ)

マネの代表作のひとつに数えられる作品で、美術の教科書などで一度ぐらいは目にしたことがあるという方も多いと思います。

どうしてこの絵に思い入れがあるのかというと、きっかけは今からもう10年以上も前、大学に入ったばかりのころの話です。

下宿先から大学へ行く途中に、いつもおばあさんが店番をしている古い小さな文房具屋があって、店内に陳列されている商品も「それ、いつからそこに置いてあるの?」ていうぐらい古いものばかり。
それはそれは古い商品ばかりで、たぶんコレクターなんかに発掘されたら店ごと買い占められるんじゃないかっていうような「ロボットマン」とか「戦え!ドラゴン」とかのノートが発売当初のままの値段(20円とか30円ぐらい)で売られていたんですが、そういうのにはさほど興味のなかった私は、ただ単に「おばあさんが店番をしている古い文房具屋」というシチュエーションに感性のツボをグリグリと刺激されてしまっていて、何か必要があればその文房具屋を利用するようになっていました。

そんなこんなである日、なぜか突然下敷きが欲しくなってその店に入ったときのこと。

店番のおばあさんがガサゴソと店の奥の方から箱を出してきて、その中に入っていたのは、やはり昔のアイドルやらアニメなど、年代モノの下敷きの束。で、その下敷きの束をおばあさんと半分にわけて1枚1枚見ていると、おばあさんが「兄ちゃん、これなんかどうや?」と差し出したのが、この「笛を吹く少年」の絵がプリントされた下敷きだったのです。

で、そのとき、そのおばあさんが言った言葉が

「ほら、これ見てみ。笛、吹いてるで。」

…だったんですが、当時、静岡から大阪に引っ越したばかりの私にとって、「フランスの名画」と「笛、吹いてるで」っていう大阪弁の組み合わせがなんともおかしく、その下敷きを購入。その後しばらくその下敷きを使っていたものの、いつの間にやらどこかで紛失してしまい…。と、そんなしょーもないエピソードがあり、今でもこの「笛を吹く少年」の絵を見るたびに当時の記憶がよみがえる。そんな特別な一枚になっています。

んで、どうして突然そんなことを思い出したかというと、先日、また性懲りもなくホーチミンの楽器屋通りに行ったときのこと。ある楽器屋の店先に並んだ横笛を何となく見ていて「あぁ、そういえばそんなこともあったなぁ」などと懐かしく思い、ついつい吹けもしない横笛を買ってしまった、というわけです。(というか、他に買おうと思っていた楽器があったんだけど、それが想像以上に高くてその日は買えなかったというのもあるんですが…)

そんなわけで今回のお買い上げ商品がコチラ。


ベトナムフルート「Sao Truc(サオ・チュック)」

ちなみに、マネが「笛を吹く少年」の絵を描いたのは34才のときだそうです。
あと1年ちょっとで自分もその歳になるのかと思うと、なんか「こうしちゃいられねぇ」などと意味不明の危機感に迫られてしまいます。

…とりあえず、ちょこっとだけ音が出せるようになってきました。

(旧サイト・2007年3月19日記載)

やわらかい下敷き

本当にどうでもいい話です。

子供のころ、楽しげに、しかし黙々と何かを作る姿から「のっぽさんみたい」と友だちに言われたことが何度かあります。というのも、もともと手先は器用な方で、実を言うと絵を描くよりも工作や粘土細工の方が好きだったんですが、その上フリーター生活を日本で長く続けていたり、海外生活をしているというのもあり、どうしても器用貧乏が染みついて、「ないものは作る」という精神がすっかり根付いてしまっています。

そんなわけで先日、こんなものを作りました。


↑やわらかい下敷き

何かというと、その名の通り「やわらかい下敷き」です。

【材料】CDショップの袋、新聞紙およびコピー用紙(数枚)、テープ
【特徴】やわらかい、軽い、適度に厚い

わたしが今まで滞在した国には、どうやら下敷きを使うという習慣はない、というか、人々は「そんな煩わしいものわざわざ使ってられるか」と思っているらしく、理想的なやわらかさを持つ下敷き以前に、普通の下敷きさえ売られていませんでした。かといって、日本で売られているプラスチック製の下敷きは表面が固すぎる。ノートをとるときに使う分には固い方がいいんだけど、私が求めている下敷きは用途が違う。

で、フィリピンにいた頃は、大学の日本語テキストのコピー本を下敷きに使っていて、それはそれで理想のやわらかさを発揮してくれていたのでよかったんですが、さすがに「持ち運びに不便」という難点を抱えており、そのころから「軽くてやわらかい下敷き」がほしくてほしくてたまらなかったわけです。

そんな中で作り出したのがこの「やわらかい下敷き」。

写真ではこの下敷きのやわらかさが伝わらないのがとても歯がゆいんですが、実際に使ってみると、適度な厚みもある上、理想的なやわらかさを発揮してくれて、作業も実にスムーズになりました。また、表面にはビニール袋とパッキング用のテープが使われているため、耐水性にもすぐれ、カフェとかに行っても遠慮なく使える逸品に仕上がりました。

と、ここまで読んで「やわらかい下敷きがやわらかいのはわかったから、その用途は一体何?」と思われる方もいると思いますが、作業中の様子はこんな感じです。


これで心置きなくたくさん絵カードが作れるのでとてもうれしい。

この調子でもっといろんなものを作り出していこう。

(旧サイト・2007年3月13日記載)

書道パフォーマンスの難しさ

書道についての話です。

日本語教師になってからというもの、それまで眠っていた書道のスキルが披露される機会が何度もあり、「習い事」という日本文化も捨てたもんじゃないなぁ、などとつくづく思っているわけですが、今のところ、いくら有段者といえど、ベトナムでは書道など見向きもされないだろうと思ってしまっています。

というのも、ベトナムにも「筆を使い、黒い墨で白い紙に文字を書く文化」すなわち「ベトナム風書道」というものがあり、ホーチミン市でも、様々な場所でベトナム語や漢語の掛け軸などをその場で書いて売っている「路上書家」が大勢いて、しかもそれが結構かっこよかったりするんで、ベトナムではなるべく書道家を気取らないようにしています。

そんなベトナムで、つい先日、「ジャパン・デイ」と題し、日本領事館主催の「日本文化紹介事業」みたいなイベントが市民劇場で行われました。
和太鼓や琴の演奏、日舞などに始まり、南京玉すだれやドジョウすくいに至るまで、様々な日本文化のパフォーマンスを見ることができるというお祭りです。

ベトナム人や旅行中の欧米人などは興味深げに見ていましたが、正直なところ、日本人の目から見るとどれも「カルチャーセンターの市民集団」のレベルで、思わず「あぁぁ…」と、しおれてしまいそうになるようなものもいくつかありました。和太鼓やソーラン節などのような地域密着型のものは迫力もあってそれなりにカッコよかったんですがねぇ…。

で、そのプログラムの中に「書道パフォーマンス」というのもあって、やはり多少なりとも書を心得ているものとしてかなり期待していたんですが…、

………グダグダでした。

壇上に駆け上がって「貸せッ、俺がやる!」て気分にもなれないぐらいしおれてしまいました。

理由は簡単。

「ベトナムにも書道があるから」とかって言う以前の問題。
ステージが客席より高い位置にあって、観客は壇上にいる人が何してるか全然わからないから。

…こんな感じです。

【実演中】
司会のおねーさん(左端)も所在なさげです。

【終了】
客席のベトナム人も「ポカーーーン」としてました。

でかい紙にでかい文字を書くのとかって、ベトナム書道にもない(と思う)し、せっかく和太鼓の演奏がバックにあるんだから、あとはもっと観客に見やすいようにすれば、ベトナム人も「おおーっ」てなると思うのにね。
あと、パフォーマーは「その国にも似たような文化があるかどうか」ていうことを事前に調べておいたりするのもやっぱり必要だな、て思います。

そんなわけで、ベトナムでの書道パフォーマンスの難しさを感じつつも、書道家の端くれとして、いつか書道でベトナム人を感心させてやるようになってみたいもんです。

(旧サイト・2007年3月9日記載)

ウズベキスタンで最も有名な日本人

世界で活躍する日本人の話です。

先日、ベトナムに滞在する日本人のための情報誌をパラパラと読んでいたところ、こんなものを発見しました。

 ベトナムで活躍する歌手、「SAKAI(サカイ)」

「SAKAI」というからには、当然、日本人です。(本名「境恒春(さかいつねはる)」)
何でも彼、2001年に日越合同プロジェクトとかで渡越。なにを思ったか、Ngoc Son(ゴック・ソン)というベトナムの超大物歌手に弟子入りし、ベトナムで歌手デビューしたらしい。

…そういえば、フィリピンにも似たようなのがいたなぁ。

 フィリピンのタレント「Ya Chang(ヤッチャン)」

この怪しげなヤッチャンという男、元々、片思いしていたフィリピーナを追ってマニラへ渡り、フィリピノ語を猛勉強し、なぜかフィリピンでタレントになってしまった日本人である。タレント活動のほかにCDまで出してたし。

彼らは決して全世界的有名人ではないにしても、それぞれが各国のローカルシーンでそこそこ有名な日本人と言えるであろう。

…と、ここでふと考える。「ウズベキスタンにはそんな日本人いたかなぁ…」と。

ふりかえれば私がはじめてウズベクへ行ったのは数年前、そのときは個人旅行だったんですが、そういえば、行く先々で「おまえ、日本人なら「アキオ・カバト」を知ってるだろ」とか、「この町に「アキオ・カバト」が来たんだぜ、すげぇだろ」みたいなことを言われ、一緒に旅行していた女友達と「アキオ・カバト」って誰だろう…なんて話していたのを思い出しました。

で、その旅行から時を経て2003年。半年間ウズベクで生活することになったんですが、そこで初めて「アキオ・カバト」の正体が判明。

「河東哲夫(かわとうあきお)」……って、当時の「駐ウズベク日本大使」じゃねーか!

ちなみにこの人(右)です。


勝手に写真を出してしまってスミマセン。とても話の面白い人です。(「興味深い話をしてくれる」という意味です。)
ウズベク語には「ワ行」の音がないから、「ワ」が「ヴァ」になって、「カワト」が「カヴァト」になっちゃうんです。(「モスクワ」が「モスクヴァ」なのと同じ要領です。ちなみに「わたなべ」も「ヴァタナベ」になります。)

この国で活躍している(または有名な)日本人といえば、我が町を訪れた日本の外交官。それくらい、当時のウズベクの一般人にとって日本は馴染みの薄いもんだったんだなぁ、と改めて思います。今のウズベクではどんな名前が出るんだろう…。たいして変わらないと思うけど。

んで、この河東元大使、今は外交官という職も退いてしまったらしいんですが、考えてみればときどきウズベクの国営放送にも登場していたみたいだし、日本でもたまにNHKの討論番組なんかに出てるし、本も出版してるし、有名人といえば言えなくもないか…。あと、最近はブログもやっていて、ちょっと難しいけど私個人としてはわりと楽しく読まさせてもらっています。
←ココです。

そんなわけで、海外ローカルで活躍する日本人、調べてみると意外とその国が見えたりしておもしろいかもしれません。

(旧サイト・2007年3月5日記載)

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