シルクロードのバネ工場

ウズベキスタン、フィリピン、ベトナム、モンゴル、そしてシリアに渡った日本語教師のブログです

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冬のおじいさん

突然ですが、下の写真をご覧ください。


すげ笠をかぶった女性が天秤棒を担ぎ、力強く歩く姿。ベトナムを象徴する光景のひとつです。

そんなわけで……



ベトナムのサンタクロースは天秤棒でプレゼントを運んできます!

…もちろんこれは、極端なベトナム風デフォルメがされたオブジェですが、それにしても、サンタクロースがいちいち郷に入って郷に従ったりしていたら、それはそれでまた改めて尊敬してしまうところです。

そんなわけで今回は、毎年恒例となった「世界で活躍するサンタクロース」の話です。

最近、私が勤めている大学の外国語学部の教授室では、毎日のように新年パーティーの話し合いや練習なんかがなされていたんですが、そのさなか、ひとりのモンゴル人日本語教師と私との間で下のような会話が繰り広げられました。

モ「先生、毎年冬に来るおじいさんがいますよねぇ。あのおじいさんは日本では何という名前ですか?」
私「…? 冬に来るおじいさん?」
モ「あの…、赤い帽子をかぶって、こう、白いヒゲがあって、大晦日の夜にプレゼントを持っているおじいさん。」
私「…! あぁ、サンタクロースですか?」
モ「あ、そうそう、サンタクロース。日本ではあのおじいさんはサンタクロースですか?」
私「はい。モンゴルでは名前が違うんですか?」
モ「モンゴルでは「冬のおじいさん」です。デール(モンゴルの民族衣装)を着て、帽子をかぶって、杖を持って、いつも女の子と一緒にいて…。」
私「…? 女の子と一緒に?その女の子は誰ですか?」
モ「えと、ゆきむすめ?…です。」

…とゆーわけで、モンゴルのサンタクロースは、その名を「うゔりーん・うゔぐん」といって、そのまま日本語に直訳すると「冬のおじいさん」。で、このおじいさんはサンタクロースのような帽子をかぶり、白いデールに青い襟巻きを着用、杖をついて「雪娘」を従えているという。

私がこっちに来てモンゴル語の勉強のために購入した小学校1年生用のモンゴル語の教科書の「きせつ」のページにも、このとおり「冬のおじいさん」が登場しています。



この時期、お菓子のパッケージにも冬のおじいさんが描かれています。



あ、ちなみに冬のおじいさんがモンゴルに来るのは12月31日です。かつてはユリウス暦(ロシアの旧暦)にならい、1月7日が冬のおじいさんの日だったこともあるようですが、そんな習慣もめっきり減ってしまい、今では大晦日というのが一般的になっているようで、ツリーとかその他クリスマス飾りなんかも、こっちでは新年を祝うための飾り付けだと思われています。ここらへんはウズベキスタン、というか旧ソ連と同じような感じですね。(ウズベキスタンのサンタの話については2007年1月あたりに書いた記事を参照してください。)

そんなわけで、今週は新年パーティーがこぞって行われ、ろくなメシも与えられず、ただ甘いものばかり食わされて酒ばかり飲まされていたんですが、そんな新年パーティーの席上に冬のおじいさんが登場し、

学生主催の新年パーティーでも、


大学職員の新年パーティーでも、


写真のような冬のおじいさんが登場。

…もう4年も前になりますが、ウズベキスタンでサンタの話を聞いたときは「国や宗教の枠を超え、世界中の子どもたちに平等なサンタのおじさん」の姿は尊敬に値すると思ったんですが、それだけではなく、こうして様々な国の文化も理解して(?)みんなに愛されるサンタクロースを見ると、改めてサンタ・リスペクトしてしまいます。

それにしても、ベトナムとかモンゴルみたいに、サンタさんもその国の文化に土着したほうが愛着もわくような気がします。この際だから、日本のサンタクロースも年末らしく赤い紋付を着用し、暴れん坊将軍よろしく暴れ馬でサッソーと参上つかまつったらかっこいいのに…などと思ってしまいます。
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成績で奇跡を起こせ!

モンゴルの大学の成績評価の話です。

モンゴルの大学では、先週で前期日程が終了し、今週から年末年始を挟んで3週間の試験期間に突入。学生たちは元日以外の毎日、休むことなく試験に追われる日々に入りました。
私が担当している科目は6科目中4科目が会話などの実技科目なので、試験と言っても口頭で行うものが多く、テスト作りや採点に追われることもほとんどなく、比較的落ち着いた年末年始を過ごせそうな感じです。

しかし、モンゴルへ来て実際に日本語を学んでいる学生たちと接する中で、ずっと疑問に思っていたことがあって、それは「こいつら(特に3、4年生)、こんなにも日本語できないくせによくここまで進級できたなぁ…」ということ。

各学年、だいたい15から20人ぐらいの学生がいるんですが、まともに日本語でコミュニケーションがとれる学生は各学年に3~4人程度。そのほかの学生は私に何か用事があるときでも必ず「日本語がよくできる学生」を従え、その学生に通訳をしてもらってお互いに意思の疎通を図るような状況です。

あの…、まがりなりにも日本語学科の学生だよねぇ…。2年も3年も大学で日本語だけ勉強して、それってどうなん? …と、常日頃から思っていたんですが、その疑問がここへ来てようやく解明されはじめました。

原因はモンゴルの(…というか、うちの大学の?)成績評価の方法にあります。

まず成績の評価ですが、「A(90~100点)」「B(80~90点)」「C(70~80点)」「D(60~70点)」「E(60点未満)」に分けられ、「E」をもらった学生はその科目の単位が認められない、…というのは、まぁ、どこの国もだいたい似たようなもんだと思います。

で、その点数をどうやってつけるかというと、「試験前の評価」と「試験による評価」に分けられ、



上の表のような評価方法を採っています。
で、教師はこのうち60%の「試験前評価」を、試験が始まる前日までに作成して学校に提出しなければなりません。そして、試験実施後に残り40%となる試験の成績を加え、成績表を完成させて再び提出。それが学生の手に渡る「最終的な成績」になるというわけです。
もし、「試験前評価」が20%に満たない場合、その学生は試験を受けることができません。(もし試験が満点でも、総合的な成績で合格点には到達しないからね。)

とゆーわけで、前期の授業が終わったその日に、私もこの試験前評価を作成したんですが、学生たちは一部を除いて軒並み成績が悪い。試験前評価が20%にとどかない学生もちらほらいるし、60%のうちの30%にもとどかない学生というのもめちゃくちゃ多い。

で、モンゴル人の先生に尋ねてみました。


私「もし前期で不合格だった場合、その学生は後期の授業はどうするんですか?」
モ「みんなと一緒に勉強します。」
私「じゃあ、たとえば前期が59点で、後期が61点だったら、合計点でその学生は合格できるってことですか?」
モ「いえ、前期は不合格で、後期は合格になります。」
私「…? じゃあ、そういう場合、その学生は次の年はどうするんですか?」
モ「次の学年の授業を受けます。」
私「え、じゃあ不合格になった科目はどうなるんですか?」
モ「卒業するまでの間に、何回でもいいから合格するまで試験を受けてもらいます。その科目の分の授業料も、合格するまで払い続けなければなりません。」


要するに、私が勤めている大学では、その学生の成績如何に関わらず、大学に入学した1年目は1年次の科目、それ以後の2、3、4年目はそれぞれ2、3、4年次の科目を履修することはでき、例えば3年生の学生で、2年生前期の文法の授業で単位が取れなかった場合、次の年も後輩たちに混じって2年生の文法の授業に出席するのではなく、2年前期と3年生の文法の授業を履修登録し、同期の学生たちと一緒に3年生の授業に出席。ただし、試験のときは2年生のと3年生のを両方受ける。で、そんな状態がとにかく合格点をとるまで続く、というわけ。
(ちなみに、一度単位を落とした科目については「試験前評価」は加算されず、試験のみ100%で評価されます)

だから、「2年生のときに会話の授業で単位を落とした」みたいな学生が、3年生とか4年生の会話の授業に出席して、ちんぷんかんぷんな顔できょとーんとしてる。なんてことがフツーに起こっています。

さらに、私がこっちに赴任する前のハナシなので、何がどうなってそうなったのかはわかりませんが、「2年生前期の会話で不合格だったけど、2年の後期、3年前期は合格。3年後期で不合格」みたいな意味の分からない学生もいる様子。

う~む…。

語学って、フツーは簡単なものから徐々に難しくなっていき、既習項目を応用して新出項目を理解していくという「積み上げ式」みたいなもんで、大が小を兼ねるように、難が易を兼ねているモンだと思っていたんですが、そんなミラクルを目の当たりにすると、逆に感心してしまいます。

…なんかジグソーパズルみたいで楽しそうだね。

乾燥バナナ最強説

保存食についての話です。

モンゴルのスーパーなどで買い物をしていると、よく「ベトナムのもの」を見ます。パッケージなんかもそのまんまベトナム語表記のものが売られていて、なんかなつかしーい気分になります。

そういえばホーチミン市に住んでいたころ、暑い街を歩き疲れ、サイゴン川のほとりでベンチに腰掛けてボサーッと川を眺めたりすることがよくあったんですが、その際に何度かモンゴル国旗を掲げた貨物船を見たことがあります。
「モンゴルって内陸国なのに、この貿易船はどこから来てどこへ行くんだ?」などという疑問も抱きつつ、しっかりこうして国交があり、それが我々一般庶民の目に触れるというのはいいことだ。と、ちゃぁんとモンゴル国に所得税を納めている者としてはちょっぴりうれしくなります。

で、話はトートツに変わりますが、左の写真はベトナムで作られている「乾燥バナナ」です。
ベトナムで働いていたとき、諸事情でちょっと長めの旧正月休みをもらい、ベトナム国内およびお隣のラオス旅行をしていたんですが、その際、列車やバスでの長時間移動の非常食として購入し、それ以来この乾燥バナナ、個人的に「世界最強の保存食」として不動の地位に君臨している乾燥食品界の王様です。

この乾燥バナナ、袋の中にはシロップ漬けにされた10本の乾燥バナナが入っていて、太さも長さもだいたい小指ぐらいのサイズです。



で、これがなぜ「最強」なのかというと、その理由は二つあって、まず一つに「めちゃくちゃ腹持ちがいい」ということ。
それもそのはず、バナナ一本を極限まで乾燥させているわけだから、なりは小さくてもその中にはバナナが丸ごと凝縮されており、フツーにバナナ一本食べるのと何ら変わりはないというわけです(たぶん)。

で、もう一つ、これが最強たるゆえんの最大の要因なんですが、「すぐに食べ飽きる」ということ。
2~3本食べると「もういいや、あとにしよ」と思ってしまいます。これは決してマズいというわけではなく、いい意味で「飽きの来る味」ということです。
だってね、フツーに考えて「やめられない、止まらない」ような食べ物だったら、保存食とか非常食には適さないでしょ?

日持ちするし腹持ちもいいから、ちょっとだけ食べて、残りはあとで食べよ。…ていうモノこそが保存食や非常食になるわけだから、その点から見ればこの乾燥バナナは最強だというわけです。

というわけで、「乾燥バナナ、最っ強!」と、ベトナムに住んでいるときはみんなに何度も言っていて、ちょっと地方に行くときや、長時間移動を強いられそうなときなどは必ず携帯するようにしていました。

で、この乾燥バナナ、正真正銘メイド・イン・ベトナムなんですが、パッケージの成分表示やら何やらがロシア語で書かれていて、当初は「なぜ、ロシア語?」などと思っていたんですが、まぁ、フツーに考えて、ただ単に「ロシア輸出用にベトナムで作られている食品を、生産国であるベトナムでも売っている」というだけのことで、何の不思議もありません。


ところが!


上の写真はモンゴルで私がよく利用するスーパーなんですが、これまでめったに見ることのなかったお菓子コーナーで………


乾燥バナナと感動の再会!

と、ゆーわけで…

商品名:DRIED BANANA(ベトナム産)
価格(ベトナム):4000ドン(28~30円ぐらい)
価格(モンゴル):250トゥグルク(25円ぐらい)

ぜひ一度お試しください。

書よ、ブルガリアに届け

絵と書道の話です。

「三つ子の魂百まで」なんて言葉があります。
幼い頃にしつけられた習慣や得られた知識はそうかんたんに薄れることはありませんよ、みたいな意味です(よね)。

例えば私の場合、小学校2年生のときから中学卒業まで書道教室に通っていて、一応「書道有段者」の端くれなんですが、実際は中学卒業と同時に書道をすることもなくなり、10年以上も書道と無縁の生活を送っていました。
ところが、日本語教師になってからというもの、ちょっとでも職を得るのに有利になるだろうなんて思って履歴書に「書道八段」なんて書いてしまったもんだから、行く先々で「書の依頼」が想像以上に舞い込んできたりしてビックリしてしまうことがしばしばありました。

で、最初のうちは「うわぁ~、もうぜんっぜん書道なんかしてないのに…」と、内心ドキドキしながらいかにも「日本からやってきた書道家です」みたいな感じで教室に登場する…なぁんて局面ばかりだったんですが、これが意外と筆を持った瞬間に現役当時の感覚がムクムクと頭を持ち上げ、自分でも驚くほどサラサラサラリとキレイに書き上げることができてしまうもんだ、ということがわかり、それ以後この書道スキルが大いに活躍。過去に赴任した国々で、書道の先生として出張書道教室や、日本文化祭りみたいなイベントでの書道の指導に駆り出されるなんてことが何度もありました。

特にフィリピンで働いていた2年間、授業に使うひらがなカタカナのフラッシュカードから、大学で作成していた文法の教科書の表紙の題字、その他様々な場面で「イラストと題字」をまかされていました。
そのフィリピン時代、私と同じ「絵描き日本語教師」がいて、彼は学生時代から毎年夏には清里で似顔絵描きをしているプロの絵描きでもあるんですが、他の同僚などに「世界で5本の指に入る日本語絵教材作者がこんなところに二人もいる」といわれるほど、二人でガンガン絵を描きまくっていました。

で、つい先日、そんなフィリピン時代の同僚で、現在ブルガリアで日本語教師をしている氏からある依頼がとどき、
「ブルガリアのとある学校から日本風の壁画を描いてほしいとの依頼があって描きはじめたんだが、先方から「漢字も入れてほしい」とのリクエストがあったので、「書の見本」を書いて送ってほしい」
とのこと。

おおぅ、そいつはお易い御用。…と言いたいところではあったんですが、ここでちょっとした問題発生。

「書道セットを日本に忘れてきた!」

…なんともおマヌケな有様です。
が、たしか中国製の筆がこっちでも手に入るよなぁ…ということで、急いで文房具屋に走り、簡易書道セットを入手。しかし、さすがに硯や墨汁は売っていなかったので、水性インクで代用。



やっぱり筆は中国製の安い粗悪品だったので扱いにくかったんですが、ひとまず頼まれた文字を書き、スキャナはないのでデジカメで撮影。で、その写真をメールに添付してブルガリアに送信。便利な世の中になったもんです。


……そして後日、ブルガリアから送られた壁画の完成写真がこちら。



かつてフィリピンで世界屈指と言われた絵教材作者がブルガリアとモンゴルに分かれ、約2年ぶりに見事な連係プレーをやってのけました!

俺の書がブルガリアの子供たちのまなこに映る……。
感無量です。

この壁画を実際にこの目で見るまで死ねねぇな。

定点観測・第1季「晩秋編」

2004年の春にウズベキスタンを離れて以降、フィリピン2年、ベトナム9ヶ月と、現在のモンゴルに至るまでの3年ほどは熱帯の国で暑い毎日を過ごしてきました。
モンゴルに来て実に3年ぶりとなる冬を過ごしているわけですが、やはり四季のある国というのは、季節の移ろいとともに風景が変わっていくのが楽しみの一つではないかと思います。

そんなわけで、ウズベキスタンに住んでいたときにもそうしていたように、モンゴルでも毎週一回、私が勤めている大学の正面に見える丘を、決まった時間に「定点観測」しています。
で、その定点観測も一人で楽しんでいるだけではもったいないので、ここで定期的に公開していくことにします。

とゆーわけで、今回はその第1回。
モンゴル生活が始まった9月初旬から11月初旬の「晩秋期」編です。


2007年9月10日(月)
ちょうどモンゴルに来て1週間が経ったこの日、初出勤の日から定点観測開始。


2007年9月17日(月)
秋晴れの穏やかな一日。鮮やかな緑です。


2007年9月24日(月)
秋の深まりとともに、徐々に緑が少なくなりはじめてきました。


2007年10月1日(月)
10月に突入。冷え込みも厳しくなりはじめ、人々も厚手の装いになってきました。


2007年10月8日(月)
初積雪後の週明け。溶けた雪とともに草原の緑もすっかりなくなってしまいました。


10月15日(月)
なんか穏やかな一日です。


10月22日(月)
10月も終わりに近づき、なんかすっかり「秋色」になっています。


10月29日(月)
軽く吹雪いています。でも、モンゴル人的にはまだ「秋」だそうです。


11月5日(月)
11月に入り、長く厳しい冬が始まりました。空気も冷たく乾燥しはじめた頃です。


えー、写真も多くなってしまいますので、今回はここまで。また来月あたりにこの続きからの分を定期的に公開していきます。

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