シルクロードのバネ工場

ウズベキスタン、フィリピン、ベトナム、モンゴル、そしてシリアに渡った日本語教師のブログです

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闇アリヒ

モンゴルのお酒の話です。

モンゴルには「アリヒ(архи)」という酒があります。アルコール度数40%もあるウォッカの一種なんですが、簡単に酔えるということでモンゴルのおっさんたちに好んで飲まれ、また、それだけではなく、パーティーなどの席には必ず登場し、宴の最中にはひとつの盃をみんなで順番にまわし飲みしたりもします。

しかしこのアリヒ、さすがにアルコール度数が高いだけあってかなり強烈なキック力を持っています。さほど酒を飲まない私などは最初の一杯目で顔がポカポカしてしまい、なるべく二杯目以降は盃がまわってきても舐めるだけでご容赦たまわってしまうか、口に含んで飲むフリをして別の器に吐き出す、もしくはそんな回りくどいことはせず、みんなが目を離したスキにそのまんまこぼしたりしています。

そんなモンゴル国民酒のアリヒに関して、
「大晦日から新年にかけて、某酒造メーカーのアリヒ(安物)にメチルアルコールが混入。それを飲んだ数名が命を落とす」
…という、不幸なニュースが新年早々モンゴル国内を駆け巡りました。

で、それからというもの、このアリヒは販売中止。店頭から完全に姿を消してしまいました。
しかし、ここでモンゴルは大徹底の姿勢を見せ、メチル混入が発覚したメーカーのものだけでなく、モンゴル国内で販売されている全ての酒造メーカーのアリヒが販売中止。どの店へ行っても酒販コーナーは写真のようにすっかり「がらん」としたものになってしまいました。
そんなわけで事件から1か月ほど経過しますが、いまだにアリヒを目にすることはありません。

食品偽装だ何だと騒いでいる日本も、もしここまで徹底していたら今ごろ日本には何も食べ物がなくなってしまっていることでしょう。

と、それはさておき、旧正月前にアリヒが飲めなくなってしまったモンゴルのおっさんたちはもちろん、これからが書き入れ時だというのに、黙ってても売れるモンが売れなくなってしまった酒造メーカーはかなりの痛手を被っていることでしょう。
しかし、これは旧正月を前にビクビクしていた私のようなアリヒ嫌いの人間にはありがたい限り。晴れ晴れとした気分で旧正月を迎えることができそう。

…などと思っていたんですが、つい先日、大学が旧正月休みに突入したその初日。外国語学部の先生方みんなで軽くパーティーをするということでその席に参加したところ………


どこからともなくアリヒ登場!(写真中央)
「あれ、まだアリヒ飲んじゃダメなんですよねぇ…」と言うと、「はい、でも内緒で飲みましょう」とのお返事。

そんなわけで教授室のドアのカギをかけて乾杯!

パーティーの最中、コンコンとドアをノックする音が聞こえるや否や、アリヒお酌係の先生がセーターの中にササッとアリヒのボトルを隠し、グラスを持って今まさに飲もうとしていた先生は前傾姿勢でテーブルの下にグラスを隠す。そしてドアを解錠。訪れた客人を室内に招き入れることもせず、ドア付近で用件だけ聞いて客人を追い返す!そして施錠、乾杯!

みんな、そこまでして飲みたいのね、アリヒ…。
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「教師の日」…それは、教師の大変さを身を以て体験する日

モンゴルの祝日の話です。

モンゴルでは1月末だったか2月の何日だったかに「教師の日」という祝日があります。その名の通り、学生が日頃お世話になっている先生方に感謝し、いたわる日なわけですが、今年はその教師の日が旧正月休みと重なってしまっているため、大学では教師の日を前倒ししてのイベントが行われました。

で、具体的に何をするかというと、「学生が先生の代わりに授業をして、先生方にはゆっくり休んでもらう」という感じです。

…あ、念のために言っておきますが、学生と教師の立場が逆転するというわけではなく、通常の授業を学生が担当するということです。つまり、教師の日には3年生とか4年生の先輩方が、後輩たちの教室に入って先生の代わりに授業をしてくれるという。
そんなわけで、私も同僚の先生方からその知らせを聞き、私の担当する授業を4年生に代わってもらうことにしました。

しかし、学生による代行授業が行われる日の私の時間割は、「日本語会話(3年生)」と「文書作成(3年生)」のふたつ。

…うーむ。いくら4年生とはいえ、3年生の会話とか文書作成は難しいだろー。4年生の連中、断るんじゃなかろうか…。という心配もありましたが、この話を4年生に持ちかけたところ、拍子抜けするくらいみんなあっさり快諾。「誰がやるか」という話になったときに多少のゆずり合い、というか「押し付け合い」はありましたが、2つの科目のうちのひとつ、どちらかといえば簡単な方の「会話」の授業を4年生に受け持ってもらうことになりました。

まぁ、考えてみれば、学生たちのアタマには子供のころから「教師の日は学生が授業をするもの」ということが摺り込まれているわけだから、それを断るなどという思考回路は組み込まれていないのだろうと思います。
他の先生たちも、「教師の日なんだからゆっくり休みたい」ということで、各々の授業を学生に変わってもらった様子。

で、迎えた1月24日(木曜日)、学生による代行授業が行われるこの日の朝、いつものように大学へ行くと…

←だれも出勤してない……

ホントに休むのかよ、おい!

…と思ってしまいましたが、みんなこの日はすべて学生まかせということで、いつもより遅い時間に出勤。学生が授業している教室に入って、教室の後ろから学生にプレッシャーをかけるような野暮なこともせず、教授室で昼間から酒を酌み交わしていました。
モンゴルの教師と学生の信頼関係の強さを見たような気分です。

…が、心配性な私は、コソーっと学生の様子を見に行ってしまいました。


黒板に絵カードを貼りまくっているのが「ワタナベ流」を物語っています。

教師の日だからといって、うわべだけ教師に感謝するだけでなく、こうして身を以て教師というシゴトの大変さを経験するというのも学生にとってはいいコトです。モンゴルの教育現場には珍しく「なんと素晴らしい文化ではないかっ」と思ってしまいました。

ちなみに、今月末には大学主催による「教師の日恒例・1泊旅行」が控えています。

永田町からの手紙

なんか仰々しいタイトルですが、ホントにどうでもいいくだらない話です。しかもそんなどうでもいい話を長々と書いてしまいました。読まれる方は覚悟してください。

右の写真は私のアパートのシャワールームです。
こっちに来てしばらくたった頃、シャワーを浴びる前にお湯が噴き出す部分を何気なく見ていたら、何やらロシア語で書かれていることに気づきました。
で、よく見ると…



「сделано в ссср」・・・「メイド・イン・ソ連邦!」

…不覚にも壮大なロマンを感じてしまいました。この部屋のシャワー、少なくとも十数年前にソ連で作られ、モンゴルに流通したものが未だに使われているわけです。「なんかすげぇ」と思ってしまいます。この気持ちわかっていただける方は少ないと思いますが…。

ご存知の通りモンゴルというのは中国とロシアに挟まれた国ですが、そんな中でモンゴル人がロシア人や中国人のこと(特に中国人)をあれこれグチグチと言ってはいるものの、文字通り中国とロシアの「おんぶにだっこ」な部分が否めないというのも事実。
街を歩けば中国製品やロシア製品があふれ、行き交う車も今でこそ小ぎれいな日本車や韓国車が幅を利かせていますが、いまだにソ連製のごっついポンコツ車を見かけることも少なくありません。

そんなモンゴルの大学では、中国製の安いチョークを使っているんですが、これが果てしなく書きにくい。なんかツルツルしていてチョークのお粉が上手に黒板に馴染んでくれず、それなのに指先にはゴッソリとお肌の水分を持っていかれそうなほど粉がついてるし、黒板に書く前に「濡れぞうきん(黒板消し)」で先をチョチョっと湿らせないと使えないようなものばかり。

そんな中、まだ秋口の気候の穏やかだったある日の出来事です。
去年の春まで日本で半年間の研修を受け、帰国して職場復帰した日本語の先生(モンゴル人)が、日本の100円ショップで買ったチョークの箱(24本入り)を持ってきたところ、これがまぁビックリするほど書きやすい。「ぶっちゃけ中国のチョーク使いたくないんだけど…」とぼやいていたロシア語の先生(ロシア人)も大満足の日本の100均チョーク。100均といえどこれほどのクオリティのものを世に送り出している日本製品はあなどれず、この100均チョークは瞬く間になくなってしまい、今ではみんな元通り中国製のチョークを使っています。

それから時を経てつい先日のこと、コピー用紙がなくなったので市場でコピー用紙を購入しました。

私の勤めている大学では、コピー機やパソコンのプリンターは大学のものを使うことができるんですが、基本的にコピー用紙は自腹。日本のように学生全員に教科書が支給されるようなこともないので、先生方はみんなできるだけ本やプリントを使わないで授業をするようにしています。どうしても授業に使うハンドアウトなどが必要なときは、教師がおのおの自腹でコピー用紙を購入してコピーをして学生に配るか、先生によっては教科書一冊を学生に貸し出し、必要なページを学生自身にコピーさせるような手を使っている人もいます。

私の場合は授業の資料だけでなく絵カードとかもたくさん書くので、とりわけ紙の消費量が激しく、この5ヶ月弱ですでに三束目のコピー用紙購入となってしまいました。
で、私がいつも買っているコピー用紙は文房具屋にある中でもいちばん安い、薄い紙。もちろん中国製でなめらかさのカケラもないような手触りです。コピーをするときはもちろん両面コピーが基本です。

と、そんな日々を送っているわけですが、つい数日前のこと、授業を終えて教授室に戻ると、私の机の上にこんなモノが置かれていました。

日本からのエアメール

宛先は私個人ではなく、大学の日本語学科宛て。
で、送り主を見ると…

「東京都千代田区永田町○—△—□ 政府出版局」

………!! せ、政府出版局がこんなところにどんな御用ですか!?
まさか「ねんきん特別便!?」…いや、それはないか。

…などと思って恐る恐る開封すると、中身は何のこたぁない。紙が一枚だけ入っていて、
「日本政府から出版されている日本の情報冊子がweb上でもみられるようになりましたよ。今後ともどうぞよろしく。」みたいな内容。どうやら過去にこの大学の関係者が定期購読していたらしい。

しかし、この永田町からの手紙を開封した瞬間、心の底から大きく感動したことがたったひとつ。


日本政府、すんげーいい紙、使ってる!!

……今回のこの長文記事のオチにしてしまうほどの大感動だったんですが、この気持ちわかってくれる人、何人ぐらいいるでしょうか。ホントに厚くて丈夫でキメが細やかな「上質紙」ですゼ。

定点観測・第2季「初冬編」

モンゴルは一年でいちばん寒い時季に入りました。空気は冷たいし風は強いしで、昼間でもヒゲが凍るほどの寒さです。

そんなわけで今回は定点観測の第2回目、11月第一週目から1月第一週目までの二ヶ月間の風景です。


2007年11月12日(月)
この前日の11月11日、モンゴルでもようやく暦の上での冬に入ったそうです。この日は朝イチの授業のために外へ出ると、外は靄で真っ白。家から大学までの30分の道のりで、革ジャンもカバンもまっしろ、まつ毛とヒゲが凍る、というのを初めて経験しました。


2007年11月19日(月)
この町で二年間、エアロビのインストラクターとして活動していた協力隊員の女性がこの翌日に町を離れるということで、このころは連日のようにパーティーがありました。まだそれほど寒くなかったころです。


2007年11月27日(火)
この定点観測、毎週月曜日に行っているんですが、11月26日(月曜日)は国家記念日で休日だったため、翌27日の風景です。雪もだんだん融けてきました。


2007年12月03日(月)
師走です。かなり雪が融けてしまいました。久しぶりに見る地面です。
この前日、12月2日は日本語能力試験がありました。ウランバートルまで試験を受けにいった学生が夜行列車に乗ってまだ帰ってきていないということで、3年生がこぞって休み、平和な1日でした。


2007年12月10日(月)
せっかく融けたのにまぁた積もってしまいました。


2007年12月17日(月)
どうでもいいことですが、この日の晩、お好み焼きを作りました。あと、注文していた馬頭琴をようやく受け取った日でもあります。それ以外には特に何もなかったなぁ。
大学の方はこの週で前期日程が終了。前期試験に向けてちょっとでも成績を良くしてもらうために、学生たちが未提出の宿題だとかいろいろともってきて何かと忙しい、まさに「師走ど真ん中」の一週間でした。


2007年12月24日(月)
クリスマスイブです。雪もかなり融けました。たしかクリスマスのころはけっこう天気のいい日が続いていました。大学ではこの日から前期試験が始まりました。


2007年12月31日(月)
大晦日です。この前々日の土曜日が仕事納めではあったんですが、ちょっとやり残した仕事があったので大学へ行き、ついでにこの写真を撮りました。この3日ぐらい前に二日続けて大雪が降り、大地もすっかり白くなりました。


2008年01月07日(月)
今年一発目です。学生たちはまだ前期試験で緊張の日が続いています。私の方はこの前日の日曜日に担当科目の前期試験が終了し、この日に成績を出してしまったので、久しぶりにのんびりとした一週間の始まりです。

…と、こぉんな感じでこの二ヶ月は積もっては融け、また降っては積もり…、の繰り返しでした。

こちらは今が寒さのピーク。今月半ばを過ぎれば4月ごろまで徐々に徐々に、ゆっくりと寒さが和らいでいくそうです。…が、そうはいっても、もんのすごく寒いのがフツーの寒さになる、っていうだけのことなので、まだまだ寒い日々が続くことには変わりないんですがね。
とゆーわけで、まだまだこの白い風景が3ヶ月ぐらい続くということです。

そんなわけで次回もお楽しみに。

氷の祭典

年が明けてからというもの、こちらはさらに寒くなり、昼間でも肌を刺すほど空気が冷たくなってきました。新年のお祝いムードなどと言うものも1月1日でパッタリ終了し、新年2日から仕事再開です。
そんなわけで、最近はいたってフツーの日々を送っているので、今回は「年末ネタ(その1)」です。

12月28日、年の瀬ムード満載の街をトボトボと歩いていると、こんな風景に遭遇しました。


文化センター前の広場で、すっかり踏み固められ凍結してしまった雪を除去する人々(左)、そして、そのかたわらには大量の氷(右)です。なにか面白そうなものができそうな予感。というわけで、作業工程の記録を開始いたします。

…そんなわけで翌12月29日

氷は高く積み上げられ、職人のおっさんが塩水で氷をくっつけています。

12月30日

徐々にその姿が明らかになりはじめます。なんか「宮殿」というか「門」みたいなものができてきました。

12月31日

大晦日です。たぶん作業も大詰めになり、サンタの雪像やツリーも完成しています。個人的にはいちばん右端に鎮座する「チンギスハーン」の氷像に期待してしまいます。

そして大晦日の夜

完成した氷像たちにはきらびやかな電飾のデコレートがなされました。

しかし…………

明けて1月1日の昼間…


完成した氷像をじっくり見てみると……

チンギスハーンの顔、手描きかよっ!!
職人さん方、詰めが甘すぎるのではないのでしょうか?

そして1月2日

あとかたづけ。

来年も期待しています。

モンゴルの年末年始

みなさま、新年明けましておめでとうございます。

ベトナムで迎え、2月はラオスで約1ヶ月過ごし、雨季のベトナムを凌いでいる最中に猛暑の日本へ一時帰国、そして秋からモンゴルでの生活が始まった、そんな激動の2007年も幕を下ろし、極寒のモンゴルで2008年を迎えました。

モンゴルでは「新年」と「正月」は別々に祝うんですが、「新年」はそのものズバリ「新しい年」で、「正月」というのはいわゆる「旧正月」といわれるもので、モンゴル語で「ツァガーン・サル(白い月)」というんですが、2月の上旬ごろにお祝いがあるらしい。…雑な説明でスミマセン。

そんなわけで2007年の大晦日、ちょこっとだけやり残した仕事があったので昼ごろ大学へ行き、チャチャッと用事を済ませたあとは、ひとりで街をそぞろ歩き、年末の街の様子を見て歩きました。ザハへ行くと、ここはアメ横かと見まごうばかりの買い物客でごった返し、人々は大量の買い物袋を下げていました。市の中心部の広場では氷像や雪像、ツリーの飾り付けもほぼ完成し、新しい年を迎える準備万端。年の瀬ムード満載になってきました。

私も入れて2人しか日本人のいないエルデネットの町ですが、夜には近隣の町に住むJICAの協力隊員も駆けつけ、雑音まじりの紅白のラジオ中継を聞きながら、日本人だけで和気あいあいと過ごしました。

そんな感じで過ごした大晦日ですが、市の文化センター前の広場ではカウントダウンが行われるということで、11時45分ごろ、みんなで街へ。

モンゴルでは、花火で騒がしく新年を祝うわけですが、町へ出るとそこら中の家々のベランダや窓から天筒の打ち上げ花火をあげている無謀な人々の姿が見られます。かなり乱暴です。

市の中心部、カウントダウンが行われるという広場も写真のように何ともエレクトリカルな感じになり、人々が集まって花火をあげたり写真をとったりと、とても賑やかです。

……が、待てども暮らせどもカウントダウンは始まらず、時刻は12時をまわって2008年になってしまったということで、この日はとりあえずみんなで氷像の前で写真だけ撮って帰ることに。

んで、明けて元日の朝。

我々日本人は、まだ夜も明けきらぬ朝の8時半に集合し、雪の中を歩きはじめます。なだらかそうに見える丘ですが、実際に歩くとなるとかなりの急斜面であることがわかります。雪もあるので足先はどんどん冷たくなるし、かなりキツいです。気温はマイナス20度です。しかも風が強いので、体感温度は想像を遥かに超える寒さです。

そして到着したのは…

丘の上のオボー。

やがて…



果てしなく広がる真っ白な雪原に、2008年の初日の出です。なんか感動的です。
実はわたくし、三十数年も生きていますが、正月にわざわざ早起きして初日の出を見るなんてコトしたのは生まれて初めてデス。そんな「初・初日の出」がこんな風景て、贅沢だよなー…などと思ってしまいます。
このモンゴルの初日の出、寒さに耐えて雪の積もる丘を必死こいて登って見るだけの価値はありますゼ。

そんなわけで謹んで新春のお慶びを申し上げます。

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