シルクロードのバネ工場

ウズベキスタン、フィリピン、ベトナム、モンゴル、そしてシリアに渡った日本語教師のブログです

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小麦価格高騰の波紋、その後

今朝(5月28日)、起きたら雪が積もっていました。

「まだ降るか、雪!」などと思いつつ、どうやら「ワールドバザール21・各国いまどき報告」のサイトに今月の記事が掲載された模様です。下のURLをクリックしてください。

http://www.e384.com/imadoki/37mongolia/mongolia_02.html


↓↓ここから下は各国いまどき報告の続きの話です↓↓
↑↑↑できれば上のサイトを先に読んでください↑↑↑


実は今回の記事、4月上旬に書いて、4月下旬ごろに送ったんですが、この記事を書いたあとも着実に食物価格は上がっています。例えばワールドバザールのサイト内では食パンが400から450トゥグルクになったと書いてありますが、今は550トゥグルク。店によっては600の所もあります。また、米も560トゥグルクから760トゥグルクと書かれてありますが、今は1250から1300ぐらいにまで上がっています。
ついでに、どういうわけかこの数週間でタマネギの値段も上がっていて、それまでたしか1キロ500トゥグルクぐらいだったのが今は中国産が1500でロシア産が2500。韓国産のタマネギは800ぐらいなので買えないこともないんですが、店頭に出るとすぐ売り切れてしまうような感じです。

なので、今まで野菜の中で主役級だったタマネギも今は買えず、家に買い置きしてる米にもなかなか手が付けられない状態です。
……で、何を食べているかと言うと、主にジャガイモと小麦粉とキャベツ。

小麦粉も値上がりしたことはしたものの、ずいぶん前にその勢いも止まり、まぁフツーに買える値段で落ち着いてくれているし、ジャガイモもモンゴルではいくらでも採れるし味もいいので、最近の主食はもっぱら小麦とジャガイモ、おかずにキャベツという、まるで「はだしのゲン」のような食生活を送っています。

でも、限られた食材で飽きない料理をするために、レパートリーは増えました。

そんなわけで下の写真は最近作ったジャガイモ及び小麦料理の数々。


上段左:ジャガイモの天ぷら、キャベツとネギのかき揚げ
上段右:見ての通りのじゃがバター
下段左:ジャガイモのパイユ
下段中:ジャガイモとネギのかき揚げカレー風味
下段右:キャベツだけお好み焼き

最近の晩メシは米なしでこれだけ、というパターンが多いです。
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生きるために

春です。暖かくなりました。日差しも強くなり緑もふえてきて、昼間は半袖で出歩けるような日もあります。

そんなある日、ふと思い立ってしまい…

休日、ひとりで山に来ました。
で、何を思い立ってしまったのかと言うと、「春といえば山菜。この街には山もあるし、山に行ったら山菜が採れるかもしれない!」という、とても三十過ぎた大人の発想とは思えないもの。
当然、ワラビやゼンマイやふきのとうが採れるなどとは思っていませんが「なんか食べられそうな物でもないもんか」と思い、地元の人もよく森林浴にやってくる山にやってきたというわけです。

しばらく山をウロウロしていましたが、さすがにモリモリ食えそうな山菜がウジャウジャ生えているような場所など見つかるわけはありません。…が、食べられなくはない物もあるにはあるので、手ぶらで山を下りるのもナンだし、それらを摘んで帰ることにしました。

そんなわけで、この日の収穫は…


そこらじゅうに生えているタンポポ(左)と、ヨモギっぽい葉っぱ(右)です。

意外と万能な食物のタンポポは、花と葉と根に分け、花は天日干しにしてお茶に入れて飲むことができます。
根も、土をきれいに洗い落として乾燥させればゴボウのようになるし、細かく切って煎ればコーヒーにもなります。
また、葉っぱはきれいに洗って水を切り、塩でもんだらそのまま食べることができます。

そんなわけで解体。

次に「ヨモギっぽい葉っぱ」です。
日本の「ヨモギ」なら、和え物なんかにしても食べられますが、さすがにこの「ヨモギっぽい葉っぱ」をそのまま和え物にして食べるのは怖かったので、まずは水洗い。

で、天ぷらにしてみました。


そんなわけで……


ヨモギっぽい葉っぱの天ぷらと、タンポポの葉のマヨネーズ和え(モンゴル風)の完成デス。

気になるお味の方は………

ヨモギっぽい葉っぱ、サクサクしてて香りもあってめちゃくちゃうめー。タンポポの葉も、フツーにうまいです。

このあとお腹を壊すこともなかったし、モンゴル人的に「山に生えてる草を食べる」などといった家畜のような食生活はありえないだろうから、だれかに穫られてしまうなんてこともないだろうし、これから夏休みに入ったら給料ももらえなくなるので、もし「森林保護法」に引っかからないようなら、他にも食べられそうな野草を摘み取って食を繋ぐのも悪くないと思ってしまいました。

どなたか山菜に詳しい方からの情報お待ちしております。

黒くて堅くて長いパスポート

早春の候、今回、我々がお邪魔したのは…

←モンゴル軍、エルデネット支部です。

コトの発端は昨年秋、私が勤める大学に一人のモンゴル人青年が訪れ、「日本語を教えてほしい」という。どうやら技術研修生として日本へ行くための面接試験を受けるので、簡単な日本語のフレーズなんかを覚えたかったらしい。

そんなわけでその青年の自宅に呼ばれ、ちょっとした日本語を教えたりしていたんですが、この青年、本業は「軍人」で、つい何年か前までイラクなんかにも派遣されていたという。

それから時が経ったある日、私と同じ街に住んでいる日本人ボランティアのおじさん、「配属されているビジネススクールで軍人が受講している」と。
で、話を聞くと、私が日本語を教えた軍人青年と同一人物だということがわかりました。

…と、ゆーわけで、いつか見学させてくれーいと言い続けていたモンゴル軍の施設に、つい先日、ようやく足を踏み入れることができました。

中はこんな感じです。

ここは主に生活スペース及び基礎体力作りのための施設ということで、緊迫感もなく、中はいたって平和な感じです。

…が、この日のプログラムはこれだけではなく、このあとどこへ行くとも告げられぬまま車に乗せられます。
で、何もないのどかな草原を小一時間ほど走り、着いた所は…

「小屋?」

そして登場したのが…
←カラシニコフ(ロシア製)

さらに…
「的」も登場。

「小屋」から車で5分ほど走り、見晴らしのいい草原で下車。どうやら軍の偉い人らしきおっさんによる指示のもと、兵役中の若い軍人見習いが200メートルほど離れた所に的を設置します。



この場所、軍の小屋がポツポツと建てられているので、まぁ軍の管轄している地域なんだろうということは察しがつくんですが、よく見ると、足下には薬莢がゴロゴロ転がっていて、おそらく射撃練習なんかをする所なんだろうと思われます。

そんなわけで…

射撃訓練、開始!
平和な春の草原に、カラシニコフの銃撃音が響きます。
いきなり「武器」を渡されて「撃て」と言われても、撃つのはおろか銃を持つのも初めてだし、性格的にも「撃つタイプ」ではないので何かちょっと恐ろしかったんですが、せっかくの機会なので楽しませていただきました。

それにしても、銃を撃つときのイメージって、「グググっ」と引き金を引いて、「ガッ」と引っかかったトコロでさらに指に力を込めて「ガチッ」と引き金を引いたら「バキュン」と弾が飛び出る…みたいな感じだと思っていたんですが、実際にやってみると、引き金を引くときに「引っかかり」みたいなのはなく、力を入れることもなく「スゥ~」っと引き金をスライドさせていると突然「ドォン」と銃弾が飛び出していくので、けっこうビックリします。なんか擬音だらけの説明ですがわかっていただけたでしょうか。

まぁ何にしても、何の障害物もない草原で銃をぶっ放すなんていうのもなかなか経験できないことだし、開放的で爽快感があって楽しかったです。

定点観測・第4季「立春編」

前回の卒業式の記事がまだ途中だったような気もしますが、4年生の卒業騒動はまだ完結していないので、今回はちょっとお休み。おなじみ定点観測をお送りいたします。


2008年3月17日(月)
雪が融けて2週間ぐらい経ったころです。この日は特に何もない平凡な一日でした。


2008年3月24日(月)
ちょっと前に書いた大学のイベント、日本語週間の開催前日で、授業もしながら祭りの準備もしたりと、慌ただしくバタバタしていた時期です。天気がよければかなり「暖かい」と思えるようになったのもこのころでしょうか。


2008年3月31日(月)
3日ほど雪が降り続いた週末が明けてのこの景色です。
このころから「引っ越し」の話が出始め、この日は旧大家が私のアパートを見に来た日です。この日、晩メシにカレーうどんを作ったんですが、たぶん大家が来た時間は部屋中カレーのにおいに包まれていただろうと思われます。


2008年4月7日(月)
小麦とか米の値段がガンガン上がり、この日、各学部の学部長が集まって「新年度からの給料アップ」を学長室に直訴に行く、なんてことがありました。


2008年4月14日(月)
で、この日が引っ越し日です。
この写真を撮ったすぐあとに授業が2つあり、その後すぐに帰宅して引っ越し、て感じでした。


2008年4月21日(月)
新年度のカリキュラムについての会議があり、なんかダラダラと話し合いが続いて7時近くまで大学で働いていました。
モンゴルの会議っつーのは、トップの人が延々と喋り続け、みんなそれをひたすら聞き続ける。で、最後にみんながひと言かふた言ほど意見を言い、そのあとまたトップの人がそれについての意見を述べる。みたいな感じです。元々の「会議嫌い」というのもあるんですが、それにもましてこのモンゴル式会議はただの「苦痛」でしかないような気がします。


2008年4月28日(月)
なんか、天気が悪いですね…。
この日は今年最初の雨が降り、「初雨」でようやく春を感じた、そんな日です。


2008年5月6(火)
雪が積もっていますが、間違いなく5月6日に撮った写真です。
この定点写真、毎週月曜日の昼ごろ撮っているんですが、5月5日の月曜日、いつものように写真を撮ろうとカメラを構えるとすぐデジカメのバッテリーが切れてしまい定点観測できず、「ま、どうせ1日ぐらいじゃ大して景色も変わらんし、明日にしよう。」…なぁんて思っていたら、翌5月6日は朝から雪。「ありゃりゃりゃりゃ…」などと思って撮った写真です。

このひとつ前の週に初雨が降った翌日、うそのような大雪が降り、それから5月の1週目までずっと天気が悪い日が続き、ほぼ毎日のように雪が降っていました。
それでも、やはり天候不安定な春。昼ごろには雪もやんで太陽が顔を出し、2時間もすれば雪が融けてしまいます。

そんなわけで上の写真は5月6日の11時半ごろ撮影したもので、その1時間後、12時半は…

こんな感じになり、さらにその1時間後、13時半にもなると…

空は晴れ、雪はここまで融けてしまいます。


……と、そんな春の様子をお伝えしてまいりましたが、現在、こちらはだいぶ新緑が芽生え始め、緑の大地が広がり始めています。次回分では徐々に色づいていく風景をお伝えできるのではないかと思います。

なごり雪

モンゴルの卒業式の話です。

9月に新学期が始まるモンゴルでは、5~6月は別れの季節。そんなわけで去る5月8日(木曜日)、私の勤める大学でも卒業式が行われました。

が、当日の朝……

雪(5月8日撮影)

式は校庭で行われるという話だったけど、イベントスペースになるような講堂なんかもないウチの大学で、これほどまでに足下のお悪い中でどのように式が執り行われるのだろうか…、などと心配しながら出勤。校舎には卒業式の垂れ幕や旗が飾られてはいましたが、さすがにこの雪。案の定、予定時刻の9時になっても卒業式が執り行われる気配すら感じません。

そんなこんなでしばらく待っていると、やがて空も晴れ、予定より2時間ほど遅れて卒業式が始まりました。


雪でグチャグチャになってしまった校庭には、ドレスアップした卒業生とそのご家族や友人、在校生などがわらわらと集まっています。

式も始まり、学長のありがたいお言葉とか、優秀学生の表彰とか、その合間に歌や馬頭琴の演奏などがあったんですが、肝心の学生たちは壇上で行われていることに一切関心を示さず、喋ったり写真を撮ったりケータイをいじったりしています。
学生の表彰が行われているときに、名前を呼ばれた学生がまったく気付かず壇上に上がらないというハプニングが何度もあり、外部からわざわざお呼びした司会のおじさんもご立腹の様子だったらしい。

…と、そんな「イナカの成人式」のような卒業式ですが、式の最後には卒業生代表が壇上で鐘を鳴らし、式の終了を告げます。


すると、卒業生たちが列をなして歩き始め……


4年間お世話になったこの学び舎との別れを惜しむかのように………

……校舎に入る!

校舎を去るのではなく、入っていきます。
んで、学科ごとに分かれて教室に入って「最後の記念授業」が行われます。

この記念授業、内容は何と「ひらがな」。
卒業式のあとに行われる最後の授業として、大学に入って初めて習ったひらがなの授業が行われるとは、なんとも「粋」です。

んで、先生方から卒業生への別れの言葉なんかがあり、私もいっちょまえに去り行く学生たちの前で偉そうに語ったりしてしまい、その後は学生たちから先生方へのプレゼントなんかもあったりしたあと、教室の中で乾杯。あとはテキトーに話をしたり写真を撮ったりして過ごし、いたって平和に卒業式が終わったのであります。そして………



つづく

アマルバヤスガラント寺院

モンゴルの観光地の話です。

私が住むエルデネット市から東へ車で2時間ほどのところに、アマルバヤスガラントというお寺があります。有名な観光スポットというわけでもないし、気軽に行けるようなところでもないので、モンゴルの観光スポットの中でもマイナーなところなんですが、やはり我が街の近くにあるということで、行かないわけにはいきません。

そんな中、卒業を間近に控えた4年生に「最後の研修」という名目で、その寺の観光案内をしてもらいましょう、ということになり、その寺院を参拝することになりました。
街を出て東へ、舗装道路を走ること1時間。うっかりしていると見逃してしまいそうな看板が見えたところで草原に入ります。


んで、草原を1時間半ほどガタガタ走ると、草原の中にこつ然と古い寺院の姿が見えてきます。


そんなわけで……

アマルバヤスガラント寺院
1737年、清朝によって支配されていた時代に造られたチベット仏教寺院。正殿の大きさは世界3位だとかで、世界規模の大きさを誇るらしい。過去にはこの寺院の周辺にモンゴルの首都がおかれていたという。社会主義時代に破壊されかけたが、修復中だか修復が終了したかよくわからないらしい。(学生からの情報による)

で、小一時間ほどで寺の内部はまあだいたい見て回ることができてしまったので、その後、寺の近くに川辺を見つけてくつろぐことになりました。


午後のひととき、小川のせせらぎを聞きながら、まったりと過ごします。

と、そこに登場するのは、もちろん……
←「鍋」

そして……
←「肉」です。

モンゴルに限らず、やはり水辺と言えば肉、肉と言えば水辺です。海や川など、水辺に行って肉を焼かないなどということは、まさに「愚の骨頂」と言っていいくらいのもんです。

そんなわけで、肉が焼けるのを待つ間、各自が思い思いに過ごします。

実はこの日、前々から天気が悪くなると言われていて、やはり朝には雪が降ったりもしていたんですが、出発するころには空も晴れ、行楽日和になったような感じだったものの、どうも風が強く空気も冷たく感じられ、みんな震えながらたき火の周りで肉に食らいつきます。

で、夕方、街へ帰る途中に偶然にも首相を乗せた車に遭遇し、みんなで首相に手を振ったりもしました。私はしかとこの目で確認することができなかったんですが、どうやら首相もこの間抜けな大学生の集団に手を振り返してくれていたそうです。

そんなまったりとした一日も過ごしつつ、4年生たちも来月には巣立っていくのであります。

引っ越し騒動(その2)

前回の続きです。

突然の引っ越し要請を受け、何の感慨もなく無事に引っ越しを済ませたものの、新居にはさまざまな問題がありました。

まず、前の部屋には入居した時点で備え付けられていた食器棚、タンス、本棚などの収納場所が新居にはなく、荷物が片づけられない。さらに台所にレンジがなく、料理ができない。ということは、単純に「家でメシが食えない」という、私のような貧乏人にとって生死に関わる問題に直面。
ということで引っ越しの翌日、とりあえず命をつなぐ食生活を安定させるため、大学の学生寮から使っていないレンジと食器棚に使えそうな棚を拝借し、新居に運び入れてもらうことに。

ついでに、壁に服をかけるためのフックも取り付けてもらいました。


ちなみに、ちょっとした物を置いたりしまったりできるような棚とかタンスとかがまだ確保できていないので、いまだに荷物が片付いていません。
そんなわけでいまだにスーツケースから必要な物を出したりして生活しているんですが、それも慣れてしまえば苦もなくなります。

で、次に困ったのが「情報」。

早い話がテレビとインターネットなんですが、前の部屋にはテレビのケーブルがあったので、前任のドイツ語の先生が使っていたという古いテレビをいただき、贅沢にもテレビのある生活を送っていました。
さらに電話線も通っていて、新規契約をしなくても電話番号が与えられていたので、インターネットも比較的カンタンにできていました。
しかし、新居はここ何年も入居者がいなかったらしく、電話線もテレビのケーブルも切断されており、引っ越しと同時に情報ソースがなくなってしまいました。

そんなわけで引っ越しの何日か後にテレビ局と電話局で契約。


そして大学の用務員のおじさんが何の躊躇もなく玄関の壁にドリルで穴をあけ、この穴にテレビと電話のケーブルを通します。


とゆーわけで、テレビも復活。電話もつい先日つながり、インターネットもできるようになりました。

…それにしても、テレビに関しては、モンゴルに来る前はまさかテレビのある生活などというものは想像もしていなかったし、過去フィリピンでもベトナムでもテレビのない生活だったので、なきゃないでどーってこともなかったんですが、一度でもテレビのある生活を知ってしまうと、それが突然なくなったときの「無音空間」には、そこはかとない虚しさのようなものを感じてしまいます。
で、それはネットなんかも同様だと思うんですが、テレビなりネットなり、それまで当たり前のように生活の中にあった情報ソースが遮断され、生活の文化レベルが急激に下がってしまったこの2週間ほど、ちょっとした収穫もありました。

それがこれ。
←モンゴルに来てから購入したラジオです。

中国産であまり性能はよくないんですが、短波の国際放送も入るので、空を飛び交う電波の量が少なくなる深夜から早朝の間だけ、80%雑音ですがNHKラジオの国際放送も入ります。ロシアや中国でやってる日本語放送とか、ときどき北●鮮の日本語放送らしきものも入ります。

テレビもなく、ネットも自由に使えない環境の中、夜と朝の限られた時間に雑音の中から聞こえる日本語のニュースなどを聞いていると、なんか、ラジオの深夜放送とかを夢中で聞いてた少年時代を思い出してしまいます。

しかもこのラジオ生活の間、何となく感覚が冴え、教案とか教材を作るのにもなかなかすばらしいヒラメキがあったり、授業なんかもノリノリのノリ助でやっていたような気がして、いつも何となく垂れ流しになってしまっているテレビもなく、インターネットなんかもない生活の中で、やっぱりある程度の「情報のダイエット」というのもたまには必要なんだなぁ、ということを感じました。

それにしても、実は今回のモンゴルでの引っ越しにより、これまで生活していた国のうち、ウズベキスタン以外の3カ国で引っ越しを経験したことになってしまいました。しかもその原因というのが…

フィリピン……金銭トラブル
ベトナム……ボスの気まぐれ
モンゴル……大家の都合

…と、自分の意志で引っ越しをしたことが一度もない!
これはもう運命として受け入れるしかないということなんでしょうか……。

とりあえず新居での生活にもだいぶ慣れ、新しいベッドでもしっかり熟睡できています。

引っ越し騒動(その1)

今をさかのぼること一か月ほど前……

突然我が家に上がり込んで部屋の様子をうかがう大家一家。

このアパート、私が勤めている大学がこの大家から1年契約で借り、私が住まわせてもらっているんですが、このたび、強制的に引っ越さなければいけないことになってしまいました。
…というのも、大家がこの部屋を売り、そのカネを元手にウランバートルに引っ越すことにしたということで、すでに買い手も見つかっていると言う。

そんなわけで、大学の方では担当職員が急いで新しい部屋を探してくれているというので、私は来るべき引っ越しに備えて「覚悟」だけしておけばいいんだろうと思い、あれこれ考えてムダに神経すり減らすのもアホらしいということで、普段通りボサーっとすごしていたんですが……

4月も半ばにさしかかったある月曜日の朝。いつものように大学に向かって歩いていると、同僚のモンゴル人の先生から電話が入り…

「先生、今日引っ越してください。」………というわけで、

その日の夕方、授業を終えて大学の校舎の裏に行くと、

←スタンバイオッケー!

で……


学生の手も借りて緊急引っ越し作業に取りかかります。
服がしわくちゃになろうが、調味料が多少こぼれようが、かまわずみんなでガチャガチャと荷造りをします。

んで、何の余韻もなく運ばれていく荷物たち。


そして、新居に荷物を運んで終了。

西日がガンガン当たる明るい部屋です。
モンゴル人的には、西向きの部屋は遅くまで明るくて暖かいのがいい、と学生が言っていました。今、モンゴルは日没が8時過ぎで、毎日8時半ごろまで明るいので、晩メシとかシャワーを浴びるタイミングとかが狂ってきそうです。

ちなみに…

旧宅は、下の写真のアパートの赤いマルの入り口を入った2階の部屋だったんですが、新居は……


青いマルの入り口を入った2階です。


別の角度から見ると……

(赤:旧宅 青:新居)
同じ棟の中で移動しただけなので間取りも一緒だし、あまり新鮮味がありません。小学校の「席替え」みたいなモンです。さすがに引っ越した翌日に前の部屋に帰るような失敗はしませんでしたが…。

しかしこの引っ越し、何に困ったかというと………


次回に続く

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