シルクロードのバネ工場

ウズベキスタン、フィリピン、ベトナム、モンゴル、そしてシリアに渡った日本語教師のブログです

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モンゴルでも作れるフィリピン料理

久しぶりにフィリピン(及びフィリピン料理)の話です。

突然ですが右の写真、どういうわけか2か月ほど前からエルデネットのケーブルテレビで見られるようになった「CS9」というフィリピンの国際チャンネルです。

このチャンネル、昼間の時間はほとんどがバスケのフィリピンリーグの中継で、夜は主にボクシングとか総合格闘技。で、ときどき「HEROES」みたいな海外ドラマなんかが放送されているので、おそらくこっちのケーブルテレビ局の人がアメリカとかのスポーツチャンネルか何かだと思って、プログラムの中に組み込んでしまったのではないかと思われます。


フィリピン人のボクシング世界チャンピオン、マニー・パッキャオの防衛戦なんかも生放送されていたし、クリスマスの朝にはバチカンで行われていたミサのライブ映像なんかも放送されました。

…で、毎朝6時に放送開始するこのチャンネル、朝の放送開始時にはフィリピン国歌が流れ、続いて朝のニュース&エンターテインメントショー(タガログ語番組)なんかも放送されているし、夜は1時間おきに10分程度のフィリピンローカルニュースなどもフィリピン英語で放送されているので、フィリピンで2年間生活していた私にすれば何とも嬉し懐かしい気分に浸れ、特に最近は「One Morning」という番組(一番上の写真と右の写真)を毎朝出勤前に見ないと1日が始まらないぐらいの勢いになりつつあります。
「エルデネットの人にマカティの交通情報とか必要か?」などと思いながらも、朝からおバカな雰囲気いっぱいで楽しくなれます。

それにしても、こうして真冬のモンゴルで常夏のフィリピンの様子なんかを毎朝見ていると、急激にフィリピンが懐かしく思い出されてしまいます。

…というわけで最近、真冬のモンゴルでちょっとでもフィリピン気分を味わってやろう、というわけで、いろいろ試行錯誤しながらモンゴルで手に入る食材でいかにしてフィリピン料理を作るか、なんてことを実践。
肉食のモンゴル人ほどではないにしても、フィリピン人もやはり「食事に肉料理が入ってないとメシ食った気がしないし、贅沢感も得られない」というニクタリアンが多く、実際にやってみるとこれがまた面白いぐらいにフィリピンの味が再現できているので、今回はその成果を大発表したいと思います。

まずは「豚キニラウ」

「キニラウ」と言えば、もともと生魚を傷めないように酢とかレモン水なんかに漬けて食べる料理なんですが、もちろんモンゴルでは生で食べられる魚などそう簡単にお目にかかれるもんではありません。お目にかかれたとしても私の収入では買えません。そこで、魚の変わりに豚肉を使用。
「豚キニラウ」もまた、フィリピンではフツーに食されているメニューです。

作り方はいたって簡単。
酢(もしくはレモン水)に塩少々とショウガのみじん切りを混ぜ、そこにオーブンで火を通してサイコロ状に切った豚肉と、スライスしたタマネギを入れ、冷蔵庫で30分も冷やせばおいしく召し上がれます。
…でも、豚キニラウもおいしいけど、やっぱりキニラウと言えばマグロ。…なので、これではちょっと物足りなさを感じてしまいます。

そこで登場するのが……
今回の目玉商品「トクワッバボイ」

これは、油揚げと塩ゆでの豚肉ニンニク漬けの酢醤油をぶっかけただけの簡単料理。
まずは醤油(適量)と酢(適量)を混ぜたものにニンニクのみじん切りをぶち込んだ「特性ダレ」をあらかじめ作っておき、半日ほど寝かせておく必要があります。(醤油はフィリピンブランドの「Silver Swan」という醤油が最適なんですが、そんなものはフィリピンにしか売っていないので中国醤油で代用。日本の醤油なんかだと、かえって味が上品になりすぎてしまいます。
で、モンゴルでも簡単に手に入る「モンゴル豆腐」を薄切りにして油で揚げて「おあげ」を作り、同時に豚肉を塩ゆでにします。油揚げはカリッカリになるまで揚げたりするとより一層おいしくなると思われます。
最後に豚肉と油揚げを適当な大きさに切って、それに「特性ダレ」と「豚肉のゆで汁(少々)」をからめるだけ。タレが油揚げにしみ込んだら食べごろです。

で、完成。

…もうね、口に入れた瞬間に笑っちゃいました。
アマドス(フィリピン時代、毎日のように晩メシ食ってた大衆食堂)の連中に食べさしてやりたいと思うほどの完コピぶり。ダバオで食べていたトクワッバボイそのまんまです。あまりのうれしさに12月以降、2週に1回ぐらいの勢いで作ってます。

そして最後に
フィリピン風煮込みうどんの「ロミ」

本来、フィリピンではでっかいボウルなんかに大量に作り、みんなでワイワイ言いながら食べるような家庭料理です。
「うどん風乾麺」と卵、お好みの具、醤油、片栗粉をご用意ください。
コチラで使用する醤油も、できれば安っぽく深みのない粗野な味の醤油がご用意できるとフィリピン風味に近づけることができます。さらにスープのダシもなるべくフィリピン風味に近づけるというコンセプトに基づき、日本風のダシではなく「固形のチキンスープの素」を使います。
「具」は今回、豚肉少しとニンジン、タマネギを用意。これをスープの素と一緒に煮込んだら醤油で味をつけ、乾麺をぶち込みます。で、麺にスープの味がしみ込んだら溶き卵をスープに入れて、最後に水とき片栗粉でスープにとろみをつけたら出来上がり。


こんな風にうつわイッパイ溢れんばかりに入れたりすると、よりフィリピン風になります。

…そんなこんなで今もなおこの「試行錯誤」は続いておりますので、今後もお見逃しなく。
次回(ホントにできるかどうかわかりませんが)「モンゴルでも作れるベトナム料理」もご期待ください。
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バナナでクギを打つ

突然ですが、バナナです。
モンゴルに来て1年4か月ほどになりますが、初めてバナナを買いました。

…というのも、モンゴルではもちろんバナナの生産などできるはずもなく、バナナは100パーセント輸入品。だからめちゃくちゃ高い。エルデネットでの現在のバナナ相場は、1キロ4000トゥグルクぐらいで、今回購入したバナナ3本で1800トゥグルクもしました。けっこうイタい出費です。

で、これがどんだけ高いかと言うと、今こちらでは豚肉とか羊肉が1キロ3500トゥグルクぐらいなので、単純にバナナは肉より高いということになり、フツーに生活している人にはなかなか買えない代物だということがわかります。
(もっとも、一般のモンゴル人なら肉1キロとバナナ1キロだったら間違いなく“肉”を選ぶと思いますが…)
それに、今回購入したバナナは3本で1800トゥグルク。同じ1800トゥグルクでもタマネギなら2.5キロぐらい(約1か月分)買えるところです。

……で、ここからが本題です。

バナナといえば、今から30年ほど前にもなるでしょうか、某石油会社のCMにこんなものがありました…

マイナス40度の世界では、バナナでクギが打てます

…というわけで、モンゴルで生活するにあたり、私も「せっかくマイナスの世界で暮らすんなら、一度ぐらいこのバナナでクギを実践してみたい」と思っていました。
しかし、前述の通りモンゴルではバナナは高級品。今の今までついつい二の足を踏んでしまっていましたが、つい先日、となり町で小学校の先生をしていた元協力隊員の方からのメールに「バナナでクギ、をやってみたかった」との一節があり、「やっぱり同世代、同じようなこと考えてたんだなー」と思うのと同時に、「これはもうやるしかない」と重い腰を持ち上げ、高級品のバナナ購入に至ったという次第です。

そんなわけで、バナナを買った日の日没前にバナナを1本ベランダに放り出しておきます。


決行したのは今から1週間前。モンゴルがちょうど一番寒い時期の週末です。
エルデネットは比較的寒くないと言われているところではありますが、運良く極寒になれば、早朝はマイナス25度ぐらいにはなります。

…で、翌朝。ベランダの温度計がさしていたのはマイナス12度。……これではあったかすぎ。ということでさらにバナナを1日放置しておくことにしてその翌日。

気温はマイナス18度。
まだまだ絶好のクギ打ち日和とはいきませんが、そう何日もバナナを野ざらしにしておくわけにもいかないので、ベランダへ出てクギ打ち決行と相成りました。

すると………

←「…黒っ!!」

たしか買った直後はまだ若干青さが残っていたというのに、ここまで黒くなるもんなのか!?と面食らってしまいましたが、実際に持ってみると、ものすんごいカッチカチに凍っています。これはもうハッキリ言って「鈍器のようなもの」と言っても言い過ぎではありません。

そんなわけで実験開始です。

よく晴れた日曜の朝、通りを行き交う人々を横目に、ベランダに出て何の目的もなくトンテンカンテンと大きな音を立ててバナナでクギを打つ日本人の姿、モンゴルの人々の目にはどのように映っていたんでしょうか…。

…などと言ってる間に


若干の損傷はありましたが、問題なくバナナでクギが打てました。…というわけで、

マイナス40度までいかずとも、マイナス20度前後の世界でもバナナでクギが打てます。


ちなみに、今回使用したバナナは「冷凍バナナ」として実験後においしくいただきました。


…あ、ついでに、ワールドバザール21の「各国いまどき報告」に今月の記事が掲載されています。過去にこのブログ内で書いた「年末年始のあれこれ話」とまとめたダイジェスト版になっています。(下のURLをクリックしてください)

http://www.e384.com/imadoki/37mongolia/index.html

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変わりゆくエルデネットの町並み

日本の皆さんにはどうでもいい話かと思いますが、緊急速報です

この週末、エルデネットの街に新しいショッピングセンターがオープンしました。


このショッピングセンター、私がモンゴルに来る以前から工事が続いていたので、少なくとも1年半ぐらい前からちんたらちんたら工事をしていたんですが、年末あたりから突然、何かに取り憑かれたかのように急ピッチで工事が進められ、年明けごろにはバリケードも外され、街の人々もオープンを心待ちにしていました。

……というわけで、

入り口には「WELCOME」の文字。
「歓迎」などという言葉、モンゴル人の商魂とはまったくもって無縁のものだと思っていたんですが……。


中に入るとこの通り、こぎれいでおしゃれな感じの売り場が並んでいます。
この建物、4階建てなんですが、1階は上の写真のような感じの生活雑貨や化粧品、装飾品などの売り場。


そして2階と3階は衣料品。……で、4階はまだ真っ暗で入ることができませんでした。

さらに…

地下食料品売り場もあります。エルデネット初の「デパ地下」、遂に誕生です!
野菜や果物、肉、卵、そして調味料やスナック、ドリンク類など、数はまだまだ少ないですが、それなりの品揃えです。

…が、実はこのショッピングセンター、店内の7割ほどはまだ空き店舗となっており、


店内のほとんどがこんな風景です。

いずれにしても、このエルデネットの街に新しい風が吹き込んで来ています。

私が帰国するまでの間に、このショッピングセンターも大盛況になっているんでしょうか……。

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虹の市場

先日、あまりにヒマだったので、普段あまり行くことのない町外れのゲル地区(ゲル生活をしている人たちの集落)の方まで散歩に出ました。

目的は“солонго зах(ソロンゴザハ)”という名の市場。

ソロンゴザハ、その名もズバリ「虹の市場」という夢のような名前の市場です。

……が、実際は、

自動車用品、自動車部品、廃材、鉄クズなどが所狭しと並べられ、ペットボトルでガソリンが小売りされ、そんな場所柄、もちろん車好きの無骨な男どもが集い、おっさんたちが青天井の下でビリヤードに興じる、そんなむさ苦しさ全開の市場。「これのどこが虹の市場なんだ」と思ってしまうような所ですが、でもまぁ、これはこれで趣アリアリな感じです。

…と、そんな「虹の市場」を見て回ったあと、市の中心部に戻ると……


わぁお、消防車発見~♪

…などと言ってる場合ではありません。


か、かかか、か、火事だぁ~っ!


集まる野次馬たち。

…それにしても、火事場にはどうして野次馬が集まってくるんでしょう。
黙って火災現場をボサーッと眺めていたところで何のお役にも立てないし、むしろ邪魔してるだけのようなもんなのに、火事場の野次馬というのは一体何を期待しているんでしょうか…。
…と言いながら私もそんな野次馬の1人なんですけどね。

などと言ってる間に、火の勢いはさらに強くなってきました。

ご覧の通りこの現場、すぐ裏手にある建築中の建物のおかげでビル風が吹き抜け、それに加えて超乾燥しているモンゴルの冬の空気も手伝い、火の手が収まりそうな気配がありません。
消えたかな?と思って安心しかけても、また火が上がってきます。

それにしてもこの日のエルデネットの街はかなりの冷え込みで、天気はよかったものの日中はマイナス15度ぐらいあったような気がします。それに風も強かったし。


そんな中、水浸しになって消火活動をしているモンゴルの消防士さん方、たくましいです。

……で、なんとか鎮火の模様。


…というわけでこの季節、空気がたいへん乾燥しております。
火の元には十分お気をつけ下さい。

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新年会は終わらない・後半戦

そんなわけで正月気分ももう薄れてしまったかもしれませんが、前回に続いて新年会の様子をお伝えします。

ほのぼのとした学生たちとの新年会を終えた翌日は大学職員だけの新年会。覚悟を決めて会場であるディスコ「AREGLLO」へ足を運びます。

たかだか新年会に行くのになぜ覚悟が必要なのかというと、パーティーぎらいという私個人の好き嫌いの問題もさることながら、それ以前にこの手のモンゴル式のパーティーというのはまず強い酒をガンガン飲まされる。そして無理矢理手を引っ張られて踊らされる。ほんでもって長い(これが一番の苦痛)。

実は去年の新年会、あまりに長いのでトイレに行くフリしてコソ~っと途中退場し、一人で帰宅したのが夜中の3時半。あとで同僚の先生に聞いたら明け方までパーティーしてたとのこと。で、今年もテキトーに頃合いを見計らって途中退場すればいいか、などと思っていたんですが…

「先生にとって今年は最後の新年パーティですから、最後まで楽しんでいってください」

…などと言いながら「お前、わかってるだろな。今年は途中で帰るとか空気読めないことすんじゃねぇぞ」というプレッシャー(呪い)をみんなからかけられてしまっていたので、腹をくくって宴の終焉まで見届けることになってしまいました。


そんなわけで夜6時過ぎにパーティー開始。

モンゴルの新年会の基本的な流れというのはまず「主催者とかエラい人のあいさつ」「優秀者の表彰」「歌とかダンスとかの余興」みたいな「とりわけ必要と思われるようなプログラム」を最初の1時間ぐらいでガツっと消化したあとは、ただひたすら酒を飲み、踊る。それ以外には何もありません。

そもそも「新しい年を祝うこと」自体がモンゴルでは比較的歴史の浅い伝統なので、どうしてもこの手の単なるお祭り騒ぎになってしまうんでしょう。ツァガーンサル(旧正月)なんかは伝統と格式があって興味深いんですけどねー…。

ちなみに去年は外国語学部が幹事を勤めたので、事前準備なども色々あり、私も出し物のひとつとしてモンゴルでも有名な日本の歌として「北国の春」の独奏をしたりしました。んで、パーティーが始まったら始まったで色んな人が次から次に酒を注ぎに来てごまかしきれないほど飲まされ、すっかり眠たくなってしまったがためにまったく楽しめなかったのを思い出します。
(去年のパーティー)

…が、今年は我々外国語学部の面々も幹事の重責を逃れ、偶然にも「飲むのが好きな先生」とか「飲ますのが好きな先生」も欠席。さらに会場に用意された席も2階席の隅っこだったので、出された食事をみんなでモソモソと食いながら写真を撮ったりして、どちらかというと安心してパーティーの様子を傍観することができました。

…で、予定通りパーティーは順調にプログラムを消化。あらかたの出し物も終了すると、延々続くダンスタイムに突入します。

こういうパーティーの席でいつも必ず「私と踊りましょう」と誘ってくるロシア語のおばちゃん先生(超ニガテ)からのお誘いは今年もしつこく、内心「これがなければ…」などと思ってしまう自分。

で、そんなダンスの合間にほかの学部の先生やらが酒を注ぎにきます。
しかし、宴もたけなわになってほとんどの人がベロンベロンになっているので、「ちょっと舐めるだけ」とか「飲むフリ」で十分ごまかしきれるんですが、さすがに悪質なモンゴルアリヒ(ウォッカ)のおかげでフロア全体が酒臭くなって気持ち悪くなってきたため、ときどき外に出て……



…マイナス20度の夜風に当たって酔いをさまします。

んで、フロアに戻ったら戻ったで、相変わらずロシア語のおばちゃん先生(実は年下)が身体を密着させてダンスに誘ってきます。そんなこんなで「そろそろ帰りたいなぁ…」などと思い始めたころ、新人中国語教師3人娘のうちの1人が信じられないほどドロヨイし、恐怖のキス魔に豹変するという想像だにしていなかった事態が発生!

前述のロシア語の先生に加え、想像だにしていなかったところからカウンターパンチで酒の席での心配のタネが増えてしまい、ますます外に出る回数が増え、その間隔も時間を追うごとに短くなり、むしろ外にいる時間の方が長くなっていく私。

で、やっぱりフロアに戻ると酒臭く、せっかくモンゴルでは珍しい鶏肉料理とかホントにおいしい高級ケーキなんかがテーブルに並べられてるのに、酒臭いおかげで食欲もわかず、あまりに料理がもったいない!次からパーティーにはタッパー持参で参加しようと思ったほどです。
モンゴル人は酒がこの国をダメにしているということに早く気付くべきだと心の底から訴えたい限りです。

…でもね、そんな中でなんとなーく周りの人々の様子を見ながら、今回のパーティーを通じて「どうして自分がパーティー嫌いなのか」がわかってしまいました。

このブログを読んでもわかるとおり、私自身もともと「ナナメからモノを見るタイプ」なんですが、とりわけこの手の「みんなで歌ったり踊ったりワイワイ騒ぎをするパーティー」なんかに身を置くと、表面上はみんなに合わせて盛り上がってるフリをしながらも、心のどこかでは周りの状況を冷静に分析してしまっている自分がいて、そのおかげで心の底からノリノリのノリ助になれないんですよねー。双子座AB型の悲しいサガです。

…と、そんなつまんねーことを考えているうちにパーティーが終了。


時刻は深夜1時です!
「朝まで」を覚悟していただけに、この時間の終了はうれしい限りです。

…が、前述のキス魔に豹変した新人中国語老師ムスメ(実は子持ち)をアパート(私のアパートとは正反対の方角)まで送り届ける大役という名の厄介ごとを仰せつかってしまい、「去年の今ごろは「先生、ひとりで帰れますか」とか心配してもらってたのに変わったもんだよなー」などと思いながら夜中の1時半近くにマイナス20度の寒空の下、1人トボトボと家路につき、それでもなんとかこの「地獄の酒宴」を乗り切った充足感を噛みしめるのでありました。

でも、モンゴルにいるあと半年の間に、こんな酒宴がたぶんあと3回ぐらいあります。

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新年会は終わらない・前半戦

年末の話です。

去る12月27日と28日、2008年最後の週末となるこの2日間、毎年恒例となる「しんじりーんばやる」が行われました。
「しんじりーんばやる」とは、モンゴル語で「しん(新しい)じりーん(年の)ばやる(お祝い)」というわけで、早い話が「新年会」のことです。

会場となったのは………

通称「山のディスコ」ことディスコバー「AREGLLO」
ここを会場に、12月27日(1日目)は外国語学部のパーティー。翌28日(2日目)には大学職員のパーティーが開かれるというわけです。

そんなわけで迎えた12月27日、外国語学部のパーティーには日本語を始めロシア語、中国語、ドイツ語を学ぶ学生たちと先生方が一堂に介し……、


パフォーマンスをしたり、


「冬のおじいさん」から優秀な学生への表彰があったり、


みんなで写真を撮ったり、


ほんでもってみんなで踊ったり……そんな感じのワイワイ騒ぎが約5時間続きました。
基本的に学生たちが企画、演出などを手がけた学生たちによる手作りのパーティーなので、なんかほのぼのとしていて微笑ましいものです。

ちなみに私も学生や同僚の先生方のリクエストに応え、何かテキトーな楽器を使ったパフォーマンスをすることがパーティーの一週間前に決定。
何をしようかあれこれ考えましたが、ここはまぁ無難に、モンゴルでは新年の歌として認識されている「大きな古時計」をチョイス。インターネットで「大きな古時計・ロックバージョン」のmp3音源をダウンロードし、それをバックにポケットサックスを演奏することにしました。

…が、実はこのパフォーマンス、パーティーが始まる1時間前に会場に行って音合わせなんかをすることになっていたんですが、いざ会場へ行って「ざぁ練習しましょう」となったときに突然の停電。結局、音合わせどころか音響の確認、会場となっているディスコのDJ青年との打ち合わせなんかもできずにぶっつけ本番となってしまいました。

で、いざ始まってみるとマイクスタンドが使えないことが判明し、司会の学生にマイクを持ってもらって演奏するというサプライズ(?)もあり、しかも演奏が始まって気持ちよくプップクプーとポケットサックス吹いていたら、ワンコーラス終わったところでこのディスコのDJ青年が勝手にBGMを止めてしまって強制終了!
全部で4分ぐらい演奏するつもりで、間奏のあいだのパフォーマンスとかも考えていたのに、そんなのも水の泡になってしまい、すっかりグダグダの学芸会になってしまいました。

それでも、教師陣で芸を披露したのは結局私だけだったので、日本語学科の学生たちにしてみたら、「ウチとこの日本人の先生、スゲーだろ、へへん♪」みたいな感じでご満悦だったようなので、まぁこれはこれでよかったのではないかと思うことにします。

そんなわけでその後は学生たちと踊ったり、安っぽいごちそうをいただいたり、学年別に座ってる学生たちのテーブルを行ったり来たりしつつパーティーを楽しみ、やはり学生主催のパーティーなので強い酒を飲まされることもなく、いたって平和にパーティーは終了しました。

…しかし、これは翌日に控える大学職員のパーティー(別名「地獄の酒宴」)への序章にすぎないのであったのです。


つづく

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そして2009年になった

そんなわけで、マイナス20度の真冬のモンゴルから新年のご挨拶を申し上げます。

前回の記事にも書きましたが、今年は久しぶりにひとりぼっちでの年越し。
…というわけで昨日、大晦日の晩はまず自宅アパートで“ひとり鍋”を慣行し、わびしさ寂しさを倍増。そののち、80%雑音のラジオで紅白歌合戦を聞きながらボサーッと過ごしました。そして日本時間で2009年1月1日、NHKワールドTVはろくな番組を放送していなかったので………

韓国の国際チャンネルで新年を迎えました。
日本と1時間の時差があるモンゴルはこの時点で12月31日の午後11時。年越しまであと1時間あります。オモテもにわかに騒がしくなってきました。

…そんなわけで外へ。

マイナス20度という寒さにもかかわらず、県庁および文化センター前の広場はかなりのにぎわいを見せていました。ツリーや雪像の前で記念撮影をする人、手持ちの打ち上げ花火をところ構わず打ち上げる人、様々な人が集まって年が変わる瞬間を待ちわびます。そして2009年1月1日0時になった瞬間……。


特大の花火が上がりました。
例年通り、アパートの中から窓を開けて花火を打ち上げる人もいて、お祝いムードも最高潮に達し………、


広場で警備にあたっていた警官隊も記念撮影を始めました。

私も去年と同様、写真屋さんにおねがいして氷像の前で写真を撮ってもらうことに。

と、写真屋のおっちゃん、「おっ、今年も来たか、日本人。……って、今年はお前ひとりか?」てな感じで私のことも覚えていてくれた様子。そんなわけで2009年になった瞬間の写真を撮ってもらって帰宅。

そして迎えた1月1日の朝……

今年も初日の出を見るために丘に登りました。もちろん1人です。


しかし、あいにく東の空に雲がかかっていて初日の出を拝むことはできませんでした。
それでもこうして高いところにのぼって朝を迎えるのはいいモンです。1月1日を迎え、私のモンゴル滞在も半年を切りました。そんな中でこうして丘に登って街を一望すると…

なんともちっぽけな街です。
ここにいる残りの半年の間にやりたいこともやらなきゃいかんこともたくさんあります。…でも、またいつでも気軽に遊びにきたりできるように悔いを残して帰国してやれ、と心に誓いました。

そんなこんなで夜も明けて丘を下っている途中……、

東の空の雲の切れ間から朝日が顔を出しました。なんとも中途半端な2009年の幕開けです。でもこれはこれでまた趣があっていいモンです。

で、午後、昨夜撮ってもらった写真を受け取りに写真屋さんへ。

さすがに1時間以上もマイナス20度の寒空の下にいたので、生気が抜けた別人のような顔で写っています。それにしても、頼んでもないのに2枚現像してくれました。料金もしっかり2枚分払いました。そう、これなんだよな……、て感じです。


そんなわけで今年もよろしくお願いします。

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