シルクロードのバネ工場

ウズベキスタン、フィリピン、ベトナム、モンゴル、そしてシリアに渡った日本語教師のブログです

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なんでも干します

シリアに来て3ヶ月ほどたち、ようやく朝晩は涼しく過ごしやすくなってきました。
…が、昼間はまだ日差しが強く、暑い日が続いております。

7月とか8月はもうホンッとに暑くて、それだのに毎日昼下がりの2時間夕方は1時間ぐらい計画停電があったりしてウンザリだったんですが、そんな夏のある日、私の住まいの周辺で屋上に“ソーラー発電機”を乗っけてる家を見つけ、「おお、こいつはかしこい」なんて思うのと同時に、「…そうだよな、これだけ日差しが強くて雨も降らないんだから、わざわざ環境破壊までして作られた電気なんぞを使うんじゃなく、こうして自然の力を生活に利用すればいいんだよな。シリアで太陽の力を利用しないヤツは大バカ野郎だ!」…などと思いました。

…で、それを見てさらに思ったんですが、日本だろうと海外だろうと、日々の生活の中で誰もが必ず何かしらの“必要”にめぐり合います。そして人は「その“必要”のために必要なものは何か考え、探し出しすものです。

んで、このとき、財があり時間のない者は金を出してそれを買い求め、財なく時間がある者は知恵を絞ってそれを造りだします。

私はどちらかというと後者であり、またものづくりも好きなので、何か必要なものがあるときはわりと自分で作ったりします。俗に言う器用貧乏というヤツです。

そんなものづくりに大切なこと、それは「目に留まったものを手に取り、そこから何が作り出せるかを想像すること」ではないかと思います。

…というわけである日、スーパーでこんなものを見つけました。
「Splatter Plate」
鍋のふたのような形をしていますが、アミアミになっていて取っ手もついているので用途がよくわかりません。
…が、こいつを使えばシリアの強い日差しを利用した素晴らしい一品ができるはず!と思い、購入。


こんなふうに糸を通して吊るせるようにしてみました。

んで、翌朝。

我が家の庭にもひもを吊るし、Splatter Plateをぶら下げました。

…ほんでもって、ここで登場するのがコチラ(→)のマッシュルーム

シリアで唯一手に入るキノコなんですが、こちらでは写真のようにゴソっとまとめて売られているため、独り暮らしの身にはなかなか手の出せないシロモノ。もし買ったとしてもすぐに料理してしまうか、または何らかの方法で保存するしかありません。

というわけで、

テキトーに切って、このSplatter Plateの上に並べて天日干し

…で、2日後

みごとな“干しマッシュ”になりました。カラッカラに乾燥しています。

で、「こいつぁおもしれー」と、さらに調子に乗り…


ナスも2日半ほどでカラカラに。


プリップリの肉厚パプリカもこの通り。


チリはちょっと難しくて、日数もかかった上に何本か腐らせてしまいましたが、それでも立派な鷹のツメになりました。


みずみずしいキュウリも極限まで乾燥させたらこんなになりました。
これはプリッツ感覚でそのままポリポリ食べるだけでもツマミになります。

…いわゆる「干し野菜」というのは、野菜本来の旨みや栄養がギュギュッと凝縮されるそうです。


干しマッシュも、水でもどしたらこんなにだしが出ました。


実際、乾燥ナスをカレーに入れたり、水でもどした干しマッシュを卵丼に入れてみたり、乾燥ピーマンとチリをペペロンチーノ風にしてみたりしましたが、食感もよく野菜がしっかり自己主張をしていて旨かったです。

というわけでみんな、来るべき冬に備えてとにかく何でもいいから今のうちに干してみるといいよ
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ラマダンを振り返る その3

週明けからいよいよ始まる授業の準備(…というか、具体的な授業準備は何もしておらず、気持ちの整理をしているだけ)に気をとられていて、気がついたらラマダン終わって2週間も経ってるッ!

…でもラマダンについての話を続けます。これで最後です。

前にも書いたとおり、数年前にウズベキスタンで半年あまり生活していたときにラマダンを経験したんですが、ウズベクではラマダンが終わると「ハイト」と呼ばれる、いわゆるラマダン明けの大祭が始まります。
イスラム社会ではこのラマダン明け大祭犠牲祭という2つが年間の最大行事になり、まぁ言ってみれば日本の盆と正月みたいなモンでしょうかね。

ウズベクのラマダン明けハイトはなかなか盛大で、朝の礼拝が終わると街には人が溢れ、露天が軒を連ね、普段は沈黙を保っている公園の観覧車もここぞとばかりにグルグル回り、左の写真のようにアメリカ型消費経済をも愚弄するかのようなキャラクターも登場し、老若男女が浮かれはしゃぎまわる、そんな感じのとても楽しい一日でした。
あぁ、懐かしい。

ほんでもって、ウズベキスタンのあとフィリピンで2年ぐらい働いていたりもしたんですが、私が住んでいたミンダナオ島というのはフィリピン国内でもムスリムが多い地域で、やはりラマダンが終わった翌日は休日になっていました。
…で、このラマダン明けの休日にムスリム地区に行ってみたんですが、なんとなく家々の軒先にクリスマスみたいな電飾がくっついてるぐらいでこれといったお祭りムードはまったくなく、しぃんと静まり返っていてなんか寂しい感じだったのを覚えています。

…と、そんなこんながあった上でシリアで迎えた今年のラマダン明け

まずはラマダン最終日、いつものように大学へ行ってみると誰一人として出勤してこないし、ネットも繋がんないし、これといって仕事らしい仕事もないしで早々に帰宅。翌日からラマダン明けのアイード(お祝い)三が日ということで店なんかもしまってしまうというのは聞いていたので、食料品を買いに近くのスーク(市場)へ行くと、ものすんごい混雑ぶり。まさに大晦日の築地かアメ横か、といった賑わいを見せておりました。

が、そんなラマダン最終日の夜は別段賑やかな感じもないし、いつものように淡々と夜は更けていくような感じでちょっと肩透かしをくらってしまいました。

んで、そんな感じでなんとなくラマダンも終わってアイード初日


街に出てみましたが、ウズベキスタンで見たようなお祝いムードなどはまったくなく、街は閑散とした感じ。

街を歩いているのは新しい服を着て浮き足立った子どもの集団ばかりで、その子どもたちが街を闊歩してお菓子屋さんでお菓子を買い食いしたり、フレッシュジュース屋さんでジュースをのんでいたり、なんかちょっとしたファーストフード的なものを立ち食いしていたり…、そんな感じ。

最初のうちは「へぇ~、こんな感じかぁ。」なんて思いながらその様子を眺めていたんですが、それも徐々に目が慣れてきてしまい…、

まず街にはみごとに子どもしかいないということ、んで、その子どもたちが例外なく全員おろしたての服を着ているんですが、その服がまぁダサいこと、しかもそのダッさい服もバリエーションに乏しく、同じ服着てるやつがけっこうな割合でいることなどなど、あまりにもいい要素が見えないし、そこに伝統様式美的なものもまったくないし、ただただ浮かれるガキどもに哀れみさえ抱いてしまいました。

そんなわけで最終的に「なんだこれ、つまんねぇ…」なんて思いつつ、結局アイード中は引きこもってしまった次第であります。

中にはイナカの方で親戚縁者の家々を挨拶回りにつき合わされ、甘ったるいお菓子を食べさせられまくるという、市中引き廻しの刑にあってしまった日本人仲間もいたようですが…。

…と、そんなこんなでラマダンも明け、アイードも終わり、その後1週間ぐらいの正月気分もようやく抜けきって今に至りいます。振り返ると、ラマダンもなんだかスルリと始まってヌルリと終わってしまったような印象です。

今度の日曜日からようやく日本語の授業が始まります。
でも時間割とか学生の登録者数とかを誰も把握していないようです

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ラマダンを振り返る その2

週末にダマスカス出張などがあって日記の更新できず、今さらな感じになってしまいますが、もうちょっと前回の続きのラマダンについて書かせていただきます。

シリアではラマダン中の晩餐をイフタールといいます。
ちなみにウズベキスタンではイフトールでした。同じイスラムと言うこともあり、ウズベク語というのはやはりアラビア語の影響を強く受けています。

昼間のうちにメシが食えなかった分、そして翌日の昼間にメシが食えなくなる分もあわせて、イフタールにはたらふくメシを食います。
ちなみに、前回の日記で晩メシどきには街から人の姿が消えるみたいなことを書きましたが、シリアではそのイフタールが終わって夜9時ごろにもなると街は再び活気を取り戻し、店なども夜遅くまで開いたり、ガテン系の方々は夜の間に仕事に励んだりしています。

そんな中、私も学生に2度ほどイフタールに誘われました。

一回目

自分で事業を起こして店なんかを持っている、比較的裕福な学生のプールつき別荘で。

二回目

一回目のイフタールに誘ってくれた学生の友達で、両親がおらず、イナカからアレッポに出てきてわりと貧しい地域で独り暮らしをしている青年のアパートで。

ちなみに、右の写真はそれとはまた別に、日本センターで学生や先生方と賑やかに行われたイフタールの様子です。

…で、一回目も二回目もどちらもまあ基本的に若い男だらけのイフタールなので、食卓に並ぶのはかなりジャンキーな感じのメニューではありましたが、やはり金持ちだろうと貧乏だろうとやはりムスリムの“客人に対するおもてなし、ホスピタリティのココロ”はハンパありません。

私も長いこと貧しい暮らしを強いられているので、相手が金持ちだろうと貧乏だろうと貰えるモンは病気以外ならなんでもいただいてしまう性分なんですが、そんながめつい日本人に対してもみんな「来てくれてありがとう、アハランワサハラン」と言ってくれます。

アハランワサハランといえば…、

ラマダン中のあるとき、私が勤めている日本センターで「アラブ学生歓迎プログラム」という、アラブ人の学生を2週間ほど日本に招致して日本の学生との交流を図る、みたいなプログラムに参加する学生の選考試験があり、その試験監督と面接官の仕事がありました。
このプログラム、「アラブ学生歓迎プログラム」略称が「ASP」なので、てっきり「A(アラブ?アラビア?)S(スチューデント?)P(歓迎プ ログラム)」とか、そんな感じの名前だと思っていたんですが、「アハラン(A) ワ サハラン(S) プログラム(P)」という、とんでもないネーミング でした。
ちなみに「アハランワサハラン」とは、アラビア語で「“ウェルカム”であったり、まあそれに類する“来訪者を歓迎し、感謝する気持ち”を表した言葉」です。

…で、そのASPの試験と面接というのがイフタール終了後の夜9時開始

まずは9時から作文の試験があり、その後10時過ぎから面接という時間設定。ラマダン中とはいえ、この時間設定はいかがなものか…と思うのは私だけでしょうか。
…いや違う。一部の学生も確かに「おかしくね?」と言ってました。

そんなわけでその日、試験が全て終了したのは夜中の12時半でした。

…と、こんな風に人の体内時計をも狂わせてしまうラマダンも9月9日を最後に終了し、人々は断食から開放されて街はお祝いモードに突入するのでありました。
というわけで、


…もうちょっとつづく。

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ラマダンを振り返る その1

去る8月11日から9月9日までの1ヶ月間にわたるラマダン(断食月)が終わりました。

このラマダンの間、ムスリムの方々はお日様が顔を出している間は一切の飲食も喫煙もせず、中には唾を飲むこともせずに過ごすという大バカ者もいます。
つまり、この時期は日の出が4時ごろなので、朝というか深夜3時半ごろに朝メシを食い、7時をすぎた日没以降に晩メシをたらふく食う、という生活をみなさんなさっておいででした。

右の写真は大学への通勤途中の道の様子なんですが、普段は比較的車が多い通りです。
それが、ラマダン期間中は晩メシ前にものすごい帰宅ラッシュが始まり、日没を知らせるアザーン(お祈り)が聞こえてしばらくすると、写真のように人も車もいなくなってしまい、通り沿いの家々からはカチャカチャと食事の音だけが聞こえてくるような有様です。

ほんでもって下の写真はキリスト教地区とかその周辺のような感じの場所で賑やかな通りなんですが、ここもまた食事どきになると「北斗の拳」にでも登場しそうな感じに閑散としてしまいます。

ラマダンに関しては今からもう7年も前になりますが、ウズベキスタンで生活していたときに一ヶ月完璧に断食し切った経験があって、これといったとりえのない私の、数少ない自慢話のひとつです。
そのときはたしか10月末ごろからの一ヶ月だったので、4時に起きて朝メシを食い、日中は一切のモグモグとゴクゴクをせずに働き、晩メシは夕方5 時過ぎ。秋から冬に変わろうかという頃合だったのもあって日中は汗をかくようなこともなく、休めるときにしっかり休んでおきさえすればさほど大変な感じも ありませんでした。

しかし、ラマダンというのは年々10日ぐらいずつその時期が早まっていくので、その当時は「これ、ラマダンの時期が段々ずれてって、夏にラマダン するのとか大変ですよねー」なんて話をしたりして、もちろんその当時の私は「もう二度とラマダンを経験することなどなかろう」と思っていたわけですが、ま さか時を経てシリアで真夏のラマダンに出くわしてしまうことになろうとは何たる凶運でしょう。

ウズベキスタンには「ラマダン最初の三日間と最後の三日間だけ断食すれば、一ヶ月ラマダンしたことになる」という、ラマダンの意義をまったく考慮しない都合の良すぎるローカルルールもあります。
何をどう拡大解釈してそんなルールが生まれたのか理解に苦しみますが、そんなこんなでウズベクで律儀に断食しているのは一部の熱心な方々だけで、 私もそんな熱心な方々に付き合いつつ、「まぁイスラム教徒でもないし、止めようと思えばいつでも止められるからな」などと思いながらもなんとなく一ヶ月の 断食をしてしまいました。

そんなわけで、ムスリムでもないのにしっかりラマダンした、というウズベクでの経験を引っさげて、シリアではバカ正直にラマダンなどはせず、なんとなくラマダンをしているような雰囲気で過ごす、というスタンスでこのラマダンを健全に乗り切ることにしました。
具体的に言うと、ウズベクのように神をもあざ笑うかのようなローカルルールは大好きなので、私は「とりあえず晩メシの時間はみなさんムスリムの方 々に合わせます。でも、朝メシを食うために3時とかに起きるのは馬鹿げているので好きな時間に起床します。その代わり、朝メシと昼メシは食わないので、日 中の飲み物はオッケーで」という独自のルール設定で一ヶ月乗り切ることにしました。

しかし、やっぱり「一日一食、晩メシのみ。でも飲み物オッケー」というのはあまりに楽すぎました。断食してる感じがまったくありません。
ウズベキスタンでラマダンしたときもそうでしたが、やっぱり水分を摂取できないと言うのが一番の苦痛。しかも今年は8月の暑いさなかでのラマダンだったので、周りの方々もキツそうにしてました。

…でもさぁ、考えてみたらウズベクもそうだけどシリアには四季があるわけだし、去年ぐらいから今年も入れてあと2~3年後あたりまでは夏のラマダンになるけど、それさえ乗り切ればまた時期がずれていって比較的ラマダンもしやすい季節になるわけだよねぇ。
そんなの、例えばマレーシアとかインドネシアとかフィリピンみたいに熱帯の国に住んでるムスリムで、毎年必ずジメジメしたクソ暑い中でラマダンしてる人に比べればなんつーことねぇんじゃねーの?

なんてことも思いました。そんでもって、


…つづく。

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日本フェア2010

海外で日本語を教えている機関では、規模の大小はあれ日本文化を現地の方々に紹介するためのイベントなんかが行われているものです。
私も過去に滞在していたフィリピンやモンゴルなど、やはりあちこちで「日本祭り」的なイベントの運営とか開催とかに携わってきました。


こんな感じ。(懐かしい)

……で、やはりシリアも例外ではなく、去る8月29日(日)、アレッポ大学日本センターを舞台に「日本フェア」というイベントが開催されました。

思い起こせば1ヶ月ちょっと前、アレッポに到着して職場に挨拶をしに行ったその日からいきなりミーティングに参加。以降この日のために何が何だかわけもわからぬまま各方面に連絡を回してご機嫌を伺ったり、まだ心の距離もさほど縮まっていない学生たちを小間使いとして準備に取り組んだりしておりました。

そんなこんなで私が部屋でボサーッとしようとしても、


学生たちが浴衣の着付けを練習しに来たり、


書道の練習をしに来たり、


紙漉きの練習が始まったり、


いかついシリア人学生がちまちまと折り紙をしていたり、

…まぁゆっくりできる時間もあまりないままあれよあれよと言う間に時は過ぎていくのでありました。

そんなわけで、日本フェア当日の朝を迎えるわけですが、開会時間になると、どこから湧いて出たのか会場には人が溢れております。


…で、


人ごみの中、開会にあたって地味ぃ~にテープカットが行われ、


その後はなんだか人に埋もれながら…


学生たちがご来場の皆様に…


日本文化を紹介し…


シリア在住の日本人の皆様にもご協力をいただいて、大盛況のフェアとなりました。

私はとりあえず全体をぐるぐる歩き回ってお客様のご案内をしてみたり、トラブルがないかどうか確認したり、ご質問にお答えしてみたり、何か記録用の写真撮影をしたり、そんな感じで休むまもなく時は過ぎ…

そして閉会式


まあ、ありきたりな挨拶とかがひと通り済んだあと…


表彰でたーーーーーーーー!

こういうイベントのときに優秀な学生を表彰するのって、やっぱりどの国でもお決まりごとなんですね。

…まあそんな感じです。

テーマ:日本語教育/異文化コミュニケーション - ジャンル:学校・教育

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