シルクロードのバネ工場

ウズベキスタン、フィリピン、ベトナム、モンゴル、そしてシリアに渡った日本語教師のブログです

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オボー祭りと卒業試験

5月31日(日曜日)、エルデネットではオボー祭りが行われました。


この日、エルデネットとその近郊に住む人々がナーダム会場に集まり、モンゴル相撲、競馬、弓射の三種競技が繰り広げられるお祭りです。夏に行われるモンゴル最大の祭り、ナーダムの縮小版みたいなモンです。
……が、この日の我々には悠長に祭り見物などをしている余裕はありませんでした

というのも……


そのころ、わが大学では4年生の卒業試験が朝から行われていたのであります。

文字通り4年生の卒業がかかった「最終関門」である卒業試験。この日は大学内が一年の中で最も緊張感に包まれる一日であります。
それもそのはず、田舎とはいえまがりなりにも国立大学の卒業試験ともなると、それはそれは厳重に厳格に執り行われます。

まず、教師側が作成する試験は、他人に盗み見られることがないように「必ずパスワードを設定すること」との注意がなされ、完成した試験は教師自身が印刷、コピーをせず、データのみを副学長に提出。
で、それを学長と副学長と学部長がチェックをして人数分コピーしたあと封筒に入れてガッチリと封をして、試験開始直前まで金庫に保管されます。

そして迎えた試験当日、大教室に外国語学部の各学科(日本語、ロシア語、中国語、ドイツ語)の4年生全員が集結すると、学生たちは不正行為防止のため、同じ学科の学生が近くの席に座らないように配席され、試験中は外国語学部の先生方が常に3人以上で監督

また、学生たちは試験用紙に名前を記入せず、この試験のためにそれぞれ大学から与えられたコード(受験番号)のみを試験用紙に記入
名前を伏せることで、試験の採点をする際に「学生に対する教師の先入観」を排除し、公平な採点がなされるようになっています。

試験は2日にわたって行われ、1日目が文法、読解、語彙、聴解、会話(口頭試験)、そして2日目が和蒙と蒙和の翻訳、というスケジュール。
採点はその日ごとにすぐに行われ、その日のうちに学生に口頭で結果を発表。

…てな感じで、モンゴルにしては(←失言)ものすんごいしっかりしてます

ちなみに、私の担当は初日の試験監督と聴解試験の作成および会話の口頭試験の審査でした。

そんなわけでこの日、試験は朝9時に始まって一度の休憩もなく昼の1時まで、前半最後の科目である聴解試験を各学科が順番に終えたところでようやく昼休み。

先生方には弁当まで支給されます。(モンゴルにもこんな弁当があったんですね。しかも肉なし(!)です。)

で、午後は会話の口頭試験
これは各学科とも母語話者である外国人教師の仕事で、ひとり10分程度のインタビュー形式で行われるんですが、私ひとりで日本語学科の4年生13人×10分で単純に2時間以上の長丁場。

で、その間にほかの先生方は午前中の試験の採点に追われます。

…というわけで会話の口頭試験も終わり、午前中の試験の採点もすべて終わったのが夕方5時


結果をまとめて副学長に提出。
そして副学長室にて協議が行われ、7時ちょっと前ごろ結果発表

気になる結果は………

日本語学科でひとりの不合格者を出してしまった以外はみんな合格基準(60点)になんとか達しました。

ちなみに去年は全員合格でした。
今年はひとりだけ不合格です。


その場に漂う気まずい空気……。


結果の良し悪しはどうあれ、全員が笑って卒業できるようにと毎日みんなが図書館に集まって勉強に励んでいたことも知ってたし、単位落とした科目がまだ残っていた学生も、ちゃんと金を払って再試験を受けてた(「金を払って」を太字にした理由はだいたいお察しのとおりです)し、みんな私のところにも何度となく質問に来ていて頑張っていたんですがねぇ…。

この結果発表の直後、その場にいた学生全員が

「こういうとき、不合格が何人かいれば慰め合えるんだけど、ひとりだけ不合格って…、自分は合格だけど、こんなときどういう顔したらいいんだろう…」

みたいなひきつった顔して全員がお互いのリアクションを探り合うように目を泳がせていました

…でもね、実はこの不合格になった学生、私も含めて先生方全員が「仕方ない、よね?」という反応だったんです。
さらに、実はこの試験のシステムにも「やっぱりモンゴルだな」というツッコミどころがあるのでした。

というわけで、そこら辺はまた次回。

ちなみに、この日すべて終了して大学を出たのが7時半ごろだったんですが…


オボー祭りの相撲の決勝には間に合いました。
どうでもいいけどモンゴル人は観戦マナーが悪すぎると改めて思いつつ、9時半帰宅。


……そして翌6月1日(祝)はモンゴル全土でこどもの日


この日、エルデネットの街には浮き足立った大人と子供がウジャウジャしていました。
……が、この日の我々には悠長にこどもの日を祝っている余裕はありませんでした

なぜなら、そのころ、わが大学では4年生の卒業試験(2日目)が朝から行われていたのであります。


よりにもよってこんなときに2日連続で卒業試験しなくてもよかろうに……。

テーマ:モンゴル - ジャンル:海外情報

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